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ファンの在り方についてのエトセトラ - 1

2012年に羽生結弦さんを見つけてから推し活人生がスタートしました。実は2006年くらいまではワーカーホーリックで仕事ばっかりしてまして、今思うとただの社畜だったかもしれないのですが、現場の高揚感が楽しくて没頭してて、ただ仕事が楽しくって楽しくって仕方がなかったんですよね。でも、あの頃、得た知識や経験は今の仕事でも役に立ってます。結果的にはそれで良かったのかもしれません。それが未来の私の人生を切り開いてくれたので。

そのあとカーリングに出会い、どハマりして、カーリングをやりたくなって仕事量をコントロールするようになり、2012年に羽生さんに出会ってからは現場に行きたくなって、時間と遠征費を稼ぐために転職をしたことを思い出すと、そこから私の人生は加速度的に変わっていたのだと思います。

まだその頃は「推し活」という言葉も定着していなかったと思います。

フィギュア界隈でもそうでしたが人が集まるところ、特に女性がたくさん集まるところではさまざまな軋轢が生まれます。特に「古参」と「新規」みたいな争いはいつもいつも繰り広げられる古くて、新しい争いの一つなのかもしれません。

私が初めてバレーにハマったのは2015年。
ワールドカップで祐希さんと柳田さんを発見した年です。
テレビで祐希さんのプレーを見て、びっくりして、沼に足を突っ込みかけて、大学バレーを見に行き、そして翌年の2016年のOQTで国際大会観戦にデビューし、そこから深い深い沼に陥りました。

私には選手を推す気持ちになるときのパターンがあって。
もちろんすごいプレーを見たり、イケメンだったり、立ち振る舞いがかっこよかったり、いろんな理由がもちろんあるのですけど。一番、沼に落ちるのはそのキラキラしてる人が何らかの理由で挫折したり、思うように行かなくてもがいてる姿を見る時なんですよね。

だから2016年の祐希さんがOQTでリオオリンピックのチケットが取れなかった時の姿を見て、この選手はこれからこの悔しい思いをどんな風に昇華させていくのだろうと、その行先を見てみたいと思って完全に沼に落ちました。

大学バレーを見に行き、イタリアに試合を見に行き、国際大会を追いかけてという日々がスタートし、私の週末のスケジュールはバレーボール観戦で埋め尽くされていきました。

最初に大学バレーを見に行った時、会場はカオスでした。

私と同じように祐希さんを見つけて、一度、彼を見たいと思った人たちで、日体大の健志台の体育館はいっぱいでした。今でも祐希さんがいた時の大学バレーの会場ほどに集客されたことはその後はなかったような気がします。彼の最後のインカレの時は太田体育館で試合が行われましたが、三決、決勝の日には前日の夜遅くから人が並ぶくらいの勢いでした。

まあ、クレイジーですよね。

そのクレイジーっぷりを見ててた「古参」の方々に顔ファン扱いもされましたし、どうせ、祐希が卒業したら来ないんでしょ?祐希しか見ないんでしょ?みたいなことを言われたこともあったんですけれど。

私にとっては祐希さんは入口ではありましたが、出口ではありませんでした。そこからどんどん沼に落ちていきまして、今では深くて、深くて、そして広い沼の中を漂っています。(皆さん、ご存知ですよねw?)

そんな沼生活も長くなりましたが、藍くんが日本に帰ってきたことでSVの現場の様相はさらに別のステージになりました。ASUEを含む5000以上の規模の会場が普通に埋まるとか、有明アリーナの2Daysであれほどの人で埋められるとかは私も想像しませんでした。

藍くんが日本に帰ってくると聞いた時、「サントはホームゲームを全部ASUEにした方がいいよ」と冗談めかして言ったけど、本当にそれでもいいくらいの集客力です。すごくなるとは思ったけれど、それは私の想像していたレベルを軽く超えていました。

去年の段階でいろんな憶測が出てた私は次の手を選択したので、今年は比較的、サントリーのホームゲームを見に行くことができる幸せに恵まれてますがこれから先、爆発した人気がどこに行くのかなと思っていた矢先、藍くんが来年もサントリーとの契約を更新したというニュースを耳にして、この狂想曲はまだ来年も続くことを実感しました。

そっか、続くのか。

それであれば今、私が感じてることや現場で起こっていることを少しまとめておくのもいいかなと書き出したものの、1では全く本題に入っていませんが、お暇な方がいらしたらぜひ、ご一読ください。

いくつくらいで着地するかは本当に見えてませんが。

<続>

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