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ファンの在り方についてのエトセトラ - 4

さて、だんだんと難しい問題に突入していきましょう。
「応援の仕方」は何度も何度も議論になる答えの出ない議題です。

私は究極的には自分のお金でチケットを買って現場に来ている以上は応援の仕方は本人が好きなようにしたらいいと思ってます。
飲みながら見たい人、声を出したい人、写真を撮りたい人、静かに見守りたい人、仲間とワイワイ応援したい人、家族で楽しみたい人。現場にはいろんな人がいろんな目的でその場にいて、それぞれの楽しみ方をする、それがエンターテイメントだと思ってます。

けれど、現場にはたくさんの人がます。
それぞれのやりたいことをやると相手に影響を与えて、相手の気持ちに波を立ててしまうこともあることは社会を生きていく中では、仕方のないことなんだと思います。

自分がやりたいことをやるということと、自分がやって欲しくないことを誰かに強要するのはまた別の話です。例えば自分が静かに見たいから、周りの人に声出し応援をしないで、というのはお互いの利益が相反します。それは解決ができないので軋轢になっていくわけで。そうしたちょっとした思いの向きが変わるから「応援の仕方」についてが議論になるのでしょうね。

そういう「摩擦」が起こった時、基準になるのは運営が定めたルールです。ルールに反していない行動は例えば自分が苦手だったとしても、受け入れることができなくても、相手を止めることができないという覚悟を持つ必要があります。自分とは応援の思想が違って会い入れなくても同じ場所で同じ時間を過ごさなければならい時もあるということで。

社会はそんなふうにルールと共存して生きるようにできていて、それは観戦の現場であろうと何一つ変わらないものなんだと思っています。

だから「新規」が入ってきた時、必ず軋轢が起きます。
今までの暗黙の了解的なものが全く通用しない人たちだからで、それは仕方のないこと。

今のSVの会場にアイドル界隈から流れてきて、うちわを持った人が来るのも、ネームボードを持った人が来るのもルール上、止めることはできないし、そういう応援の仕方があってもいいのかもれしれません。(キラキラ系のものがついてるやつは、フラッシュと同じ意味合いで選手のためにやめた方がいいかもしれないですけどね)

だけど、そのネームボードが似てるものがダメだとか、同じ色の文字を持つなととか、誰かが先にやったことを真似するなみたいな別界隈のルールぽいものを拠り所に揉めてたりするのを見てると、不思議な感じがするし、「古参」から見ると違和感があります。私は最初はなぜにそこにこだわるのかという理由もわかりませんでした。ネームボードやうちわを持つことが選手を応援するというよりは、選手に自分だと認知してもらうために「自分だけのもの」でアピールするためだという考え方があると聞いて、さらにびっくり。

「顔ファン」であっても選手を見にいくんだと思ってたんですけど(まあ、それももちろんあるんでしょうけれど)、なんと自分を見てもらうためのツールだったとは。

ルール内では自分がどんな応援をするか、これはどこまでいっても自由。
その自由は他人にとっても保証されるもので、同じなんですよ。
自分が自由にできることは、誰でも自由にできる。

それを忘れなければどんな応援でもいいんじゃないですかね?
老若男女どんな人も自分の買ったチケットで試合を楽しむ権利があって、現場でどんな時間を過ごすかはその人が決められるんですよ。

チームとしてはチーム公式のグッズのタオルとかをたくさん買ってくれて応援してくれると収益につながるな、と思ってるかも知れませんね。



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