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看護師になって鬱になった話

私は大学を卒業して看護師として働き始め、一年経たずに鬱になりました。あれからもう20年程も経つけど、あの頃のことは断片的で、つらい記憶がいくつか強烈に残っているのに、思いだそうとしても全然覚えていないこともあって、不安定だったんだなと思います。でもそれもこれも全部の経験があっての今の私です。今は、この先の未来に希望を持って生きています。なんて書くとちょっと恥ずかしいけど、元気で、毎日色々あってもなんやかんや、笑ったり泣いたりまた笑ったりして過ごしてます。

この記事では、私が鬱になったときの経験をお話します。

鬱になって辛い方や、身近な方が鬱になり、どう対応したら良いかと考える方に、私の経験から、鬱という病気に対処するヒントが見つけられたらいいな、それから、少しでもほっと出来たりすればいいなと思います。

でも、読んでいて、もし辛くなってしまったり、嫌だなと思ったら読むのをやめてください。

それから、こんな文章を書いて、これから看護師になろうとしている方に不安を与えてしまわないかな、とも思ったのですが、私は色々な要因が重なって鬱になってしまったのであって、看護師という職業が悪いわけではないことは絶対確かです。

仕事が好きで、これこそ天職!と、生き生きと働いている友達も先輩も後輩もたくさんいます。

だからあなたは鬱にならずに働ける、大丈夫、ともいえないのですが、もしもの時に頭の片隅にでも入れておいてもらうことで、参考になればいいなと思います。

思い出話は長くなるので、結論を先に言っておきます。


私が鬱から脱するのに一番だと考えるのは、原因から離れることです。私にとって鬱の原因は看護の仕事、これを辞めたこと、それが最も回復に繋がりました。原因を取り除くこと、当たり前だと思いますけど、当時はなかなか仕事を辞められなかったのです。

あとは病院にかかって薬をもらう、友達や親に話しをするのも、私が元気になるためには必要でした。

鬱という病気の一番怖い点は、死にたいという欲求が出てくることだと思います。

私は自殺を完全に否定するわけではありません。安楽死も日本では禁止されていますが、色々な条件はついてもあっていいと思っています。けれど、自殺は、誰にも迷惑をかけないというわけにはいきません。私がどん底で、強く死にたいと思っていた時でも死ねなかったのは、私が死んだら、実家の両親も悲しむだろうとか、細かいことでも考えてしまうのも癖でしたから、友達もびっくりするだろうとか、死体や部屋を掃除する人にも迷惑がかかるし、看護師が死んだら病院にも、ニュースにでもなれば、これから看護師になろうと思っている人にも影響があるしと思って、なんとか思いとどまっていました。仕事でも人の死に関わっているだけに、人が一人死ぬという重みは、深く感じていました。

今、生きていて良かったと思っています。

とにかく生きてほしいのです。きっとどうにかなるから。

長々と前書きを書いてしまいましたが、あとは私の思い出を書きます。あくまでも私の視点から、覚えていることだけなので、とても主観的です。思い出が私の中で変わってしまっていて、当時の事実とは違っていることもあるかもしれません。私の中の記憶の整理にもなるかなと思って書きます。

昔話

一般的に言われている鬱になる原因には主に3つの要因が関係しているといわれています。

遺伝(鬱になりやすい性格、考え方)と、環境と、脳内・体内の物質の変化の3つです。

遺伝の、鬱になりやすい性格や考え方というのは、生真面目、完璧主義、自分に厳しい、凝り性、周りに気を遣うなどが言われますが、若いころの私はまさに当てはまっていました。

3人兄妹の長女で、お姉ちゃんなんだからしっかりしなさい、下に二人いるんだから進学も就職も良く考えなさい、と言われてきて、そうしなきゃ、と、言われるままに頑張ってきた学生時代でした。

小さい頃から手芸などが好きでしたが、そういった手仕事で <ちゃんと> 稼いでいけるイメージも持てなかったし、稼げるからと、先生や親の勧めるまま看護師を目指しました。

大学に入って、一人暮らし、一人でもそれなりにきちんと生活していました。

言われるまま、ちゃんとしなきゃ、みんなの言うように、そうしないといけない、と、いつも思っていました。

引っ込み思案で、たくさんの人がいると緊張して、学校での発表などはすごく苦手でした。

就職活動の際、面接で壊滅的に話せず、いくつもの病院を落ちました。周りの友達はどんどん第一希望の病院に就職が決まっているのに。それでも、なんとか採用してくれた病院に就職しました。

そういう性格で、看護師という人の命を預かる職業についたプレッシャー、重症者の多い病棟で激務、3交代制の勤務で睡眠時間が一定しなくて眠れない、睡眠不足の状況が続いたことでどんどん不安定になりました。睡眠不足は脳内体内のホルモンなどのバランスを崩してしまいます。

仕事は、忙しかったのです。勤務時間中は動き続けていて、昼ご飯が3時すぎてしまったことも何度かありました。日勤では6時に帰れたら早いほう、だいたい20~21時、消灯前には帰ろう!とみんなで言い合っていました。遅いと23時過ぎごろまで。深夜勤務に出勤してきた同僚とすれ違って帰るような。

私が仕事が特別遅かった訳ではなく、そういう感じに残業していたのは、当事の仲間、ほぼ全員がそうでした。忙しすぎる病棟。でも残業がつけられるのは30分までと言われていたので、ブラック企業って感じですね。

スタッフの人数も足りて無かったと思います。

今は、入院病床数に対しての看護師数が増えていて、パソコンも導入されたりして業務改善がされてきているようですが、それでもまだ働いている友達は忙しそうです。

そんなに忙しくても、上司にあたる婦長とか、先輩たちでも、元気でやりがいを持ってキラキラ働いている方たちは何人もいて、すごいなと思っていました。

忙しいけれどとにかく頑張ろう!

人の命を守るという仕事に誇りを持って!

最先端とも言える治療を提供しているのはすごいことなんだ!

・・・愚痴を言うのもためらってしまう感じで。

忙しいから、分からないことがあっても、先輩たちに声をかけるのもためらったり、みんな余裕がないから、一度教えたでしょ!そんなこと自分で考えて!とか言われることも日常で、でも、分からないままでは患者さんの迷惑になるから、必死に食い下がって教えてもらうなどして。

もともと引っ込み思案ですから、どうしたらいいか分からない時など余計に、忙しそうな人に話かけるのは苦手中の苦手。

おろおろして、仕事も遅く、叱られる毎日。

もっと責任感をもって!まだやってないの!何しに病院に来てるの!とか言われてました。

一人で静かに刺繍でもしていたいのに、休みの日は疲れて寝ているばかりで、そんな余裕はなく、仕事に行けば、怒号が飛び交うというか、人の声も各機械のアラームもナースコールもひっきりなしで騒がしく、一年経たずに、眠れない、食べられない、仕事中にふと涙が止まらなくなる、そしてだんだん死にたいと思うようになっていきました。

みんな出来ているのに自分はどうして当たり前に出来ないのか。

こんな自分が看護師をしている意味があるのか。生きている意味があるのか。

患者さんにありがとうと言われても、何も感じない。

ただただ、失敗してはいけない、必要なことをやらなきゃ、と、恐怖を感じながら働く毎日。

仕事がつらい、と、同僚に言っても、そうだよね、仕事ってつらいもんだよ、とか。親も、婦長さんも、とにかく3年やれば何でも身につくっていうから、と、3年は続けなきゃ、と頑張っていました。

今なら、仕事はそれだけじゃない、と思えますし、すぐ辞めれば良かったと思います。

同期の友達と休みを合わせて出かけたり、買い物に行ったりもしていましたが、あまり気が晴れませんでした。でも同期の存在は大きくて、一人だったらもっと早くつぶれていたと思います。

ある日の同期との会話で、死にたいと打ち明けたとき、それはない、若いんだし、これからが楽しみで仕方ない、おかしいよ、と完全に否定されて、とても驚いたのを覚えています。

こんなにつらくて、みんな死にたくないの?私だけ?私、おかしいのか?鬱病?

同期の仲間には、もっと優しくしてよ、とも思いましたが、自分がおかしい、病気かもしれないと気がつけたのは良かったです。

でも、気がついても、相変わらず激務の毎日で。

眠れなくて、食欲がなくて、貧血でフラフラ、クラクラして、耳鳴りもするし、勤務中訳もなく泣いたり。

ナースコールや点滴やモニターなどのアラームがずっと鳴っててうるさくて、仕事が終わって家にいても頭の中でずっと鳴り続けている感じでした。

仕事中は、ずっと背中に包丁を突きつけられているような、失敗出来ない、恐怖感がすごくて。

こんな職場で、キラキラ働ける人ばかりではなくて、先輩にも一人、鬱っぽくて、心療内科に行って来たという方がいたので、その先輩に話を聞いて、私も心療内科の小さなクリニックに行きました。秋くらいでした。

薬を飲むと少し楽になりました。恐怖感を感じにくくなる感じでした。楽しい気持ちとかも感じないというか、感情が薄くなったような。

薬を飲んでも眠れないときもあるし、やっぱりあまり食欲は出ませんでした。甘い物は好きで、お菓子ばかり食べていました。朝、カスタードケーキ、昼コンビニおにぎり、夜、プリンみたいな。

でも薬を飲みながら、そんな状態のままなんとか2年目3年目と働き続けて、ある日、体重が36キロになっていたのに気付いてはっとしました。

この仕事、もう無理。辞めよう。3年、働いたらもういいでしょう、と。

実家の親にも、もう働けないから、帰らせて、と泣いて頼んで、 3年働いた職場を3月末で辞めて実家にかえりました。

実家に帰って半年くらいは何もせず、コンビニまで散歩に行くくらいしかしませんでした。何も出来なかったです。親に色々干渉はされますが、何もしなくても、食べるもの、寝る場所があることに、親のありがたみを感じました。

眠れるように、食べられるように、だんだん回復しました。

それから、手芸教室などに行ったり、工場のアルバイトをしてみたりしました。

病院は閉ざされた世界だと、色々な人たちと出会って感じました。

カルチャー教室の先生、暇なとき居眠りしてたし、工場のアルバイトにはそれこそ、年齢も、経験も様々な人がいて。

無理しないで生きていい。

生きる意味がなくても生きていていい。

今を楽しく生きること、幸せだと思うことをすればいい。

そう、考えられるようになっていきました。

実家にいると、親があまりにも干渉してくるので、それからまた、一人暮らしをして、暮らすためと、趣味のこともしたくてお金がいるとなって、また看護師の仕事に復帰しますが、そのあたりのことはまた別の記事で書こうと思います。


まとめ

自分が、つらいとき、鬱かなと思ったら、とにかく鬱の原因から離れること。病院にかかること。それから友達、親、だれかに話すこと。

辛そうな人がいたら、ただ話を聞いてあげてほしい。鬱の人に、頑張れと言ってはいけないって、それだけの言葉が広まっている気がするけど、これは本当に、頑張れと言われても頑張れないから。つらいだけだから。そういうとき、ただ話を聞いてもらえたら、ありがたかった。

この仕事をしていたら将来安泰とか言われても、自分に合っているか考えよう。合わない所で頑張って、鬱になったら将来も見えなくなってしまう。

みんな無理しないで生きていいんです。

好きなことをしていいんです。

そんなわけで、今の私は、ゆるゆると、にこにこと、生きていきたいと思っています。

みんながにこにこと生きていける社会になるといいなと願っています。




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