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頭の中にある濃密で香り高い何かを

箒を持って、靴を脱いでひたひたと、真っ白なコンクリートのトンネルをくぐる。

朝のルーチンとしてそういった仕事の始まりの仕方をしていたことがある。
あまり多くを語ってしまってはいけないと思うのだけどそれは美術館に勤めていた時で、朝一番に建物の外側から内側へひたすらに箒をかけて、集まったものを(主には土埃と虫。)そとに逃がす。
自然光をうける展示要素を、ひとつひとつ確認する。

(小さいころから朝は常に気分と体調が優れないわたしだけど、あの期間だけは気持ち良く過ごせていた。)

美術作品と相対している心地よさは、他の何物にも耐えがたいものがわたしにはある。

見つめれば見つめるほどに完成されていく余白のなさだったり、
脳内に浮かんではあてもなく追求されていく疑問なり仮説を、答え合わせをするでもなく、しかし自分の中で組み立てていく快感だったり。

美術館にいたときは、幸運にも全てのポジションを経験させてもらえた。(その勤務期間の短さでは異例なことだったので、とても嬉しかったしありがたかった。)

あらゆる場所に立ち、鑑賞者のことを見つめたり想像したりする。
特に作品空間内にいるときは自らの佇まい自体が鑑賞体験に影響してしまうので、存在を消すように、しかし明示していないけれど守ってほしい鑑賞の行いを提示するように、場の緊張感をつくり、時には直接的に鑑賞の手助けをする。

感想や受け取るものなんて、人によって違うのは当たり前だしそもそも正解なんてないけれど、できるだけその人が求めるようなものを、できるだけ受け取ってほしいので。
ひたすらに観察しながら、考えながら、その場を保ちながら、最良の空間をつくり続ける。

日常でもそれは変わらないのかもと、
あれから考えている。

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