欲求のあり方
「こうあるべきだから、こうしたい。」
そういった欲求は私にもたくさんある。
ここに声をかけたほうがいいでしょうとか。
こういったものを作ったほうがいいでしょうとか。
ここを整えたほうがいいでしょうとか。
そうなったときに、
たとえそれを一番初めに願ったのが私だとしても、別に私が殊勲者とならなくても、むしろ、誰かがそれを代わりにやってくれても。
何かが解消されたり、何かうれしいことが起こすということが遂行されただけで私は満足なたちなので。自分がそれに関わるかどうかに全く構わないことが多い。
最近よくそのことについて考える。
率先してやりたいこと、というよりもそのまえに気になってしまう事象が多いだけで「それをやりたいのか?」ときかれると、
それは行われるべきだし、わたしだってよろこんでやるけど、他の人がやってくれて全然構わない。というスタンスをとることが凄く多い。
「こうなったらいいのにな」というイメージが頭にあって、そのほうがいいと思うからそうなって欲しいと思っているだけで、
"自分の手で"というところにはあまり拘りがないのだと思う。
絶対に自分で成し遂げたいことだったり、
他の人に一ミリも口出しして欲しくないことといえば、やっぱり制作物になるんだろうな。
それはきっと自分と切り離したときに、完成物の自分のイメージに近づけたいという欲求が経験的に叶いづらいものだと思っているから。
それを人に説明するのも私は下手くそだし。
ものごとが少しでもよくなれば。
もしくは楽しむポイントが増えれば。
気づかれなくたって別にいいし気づかれないくらいが格好いいと思ってしまってる。