ことばをだす/いれる時のこと
文章を読んでいるときに、書き手のコアな部分に触れた気になったり、生々しく相手を感じたような心地になることがある。もちろん、つるつるの表面しかわからない人もいるのだけど。
人によってはぐっと近づけた気になれる。
ここのところ追いかけている人はみな、私が文章に心惹かれていることが多い。文章を商売道具としていない彼らの、発信としてのテキストを潤沢に受けられる現代の環境に常々感謝している。
インターネットで発信することで
一対一でもなく、
一対五なんかのグループの付き合いでもなく、
一対◼️、一対nのブラックボックスに発信することになる。
その不安定さに、ある種の自然な落ち着きを感じてするする饒舌になる。
私の好きな人はそういったタイプが多いように思う。きっと本来はある程度コミュニケーション下手なんじゃないかとも思う。
ツイッターなり、noteなり、ブログがあって、またインタビューや公演やライブの機会もあって、あらゆるタイプのメディアから情報を得れるけれど、ツイッターなりnoteなりは介在する他者がいないので私がいちばんインプットとして不純物を感じずに受けとれる、というだけかもしれない。
息づかいを感じさせるような文章が紡げるというのはとにかく格好いいし、そのような人と一緒にいたいとも思う。
ドキドキしてしまう。