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甘えと説明と、自然な動機を。

おふろに入る時に、一冊漫画をもっていく。

それは少し前までのわたしの習慣。
漫画は読みだすととまらないものだし、読みたいものは常にあるので毎日一冊限られたタイミングで読もうと、そう決めていた。

朝のルーチンをもつべき、とかあらゆる箇所で耳にすることでも「マルマルのために、マルマルすべき」ということがあまり好きではなくてしっくりこなかった。
むしろ、「やりたいから、しばらく勉強する」「好きだから、今すぐみる」が、なによりもイイ、と思ってしまってるところが私にはある。

(つまり純粋な動機がないと、全ての行為が不純に感じてしまってぎくしゃくしてしまう…ということなのか。)

それでも、自分があたりまえに習慣にしているしていることは、それぞれがそれらしく習慣性をもっていることに気がついた。
しかも、タイミングや流れを結構ストイックなまでに持っていて、邪魔さえ許さないことが多い。(家の中では特にわがままなのです。)

自分がどんな思想で、また自分がどんな意識で、それをするのか。
しっかり身に染みてしていれば、きちんとパフォーマンスできるんだろうけれど、いかんせん団体行動が得意じゃない。

なのでちょっと意識してみようと思う。私が関わってるあらゆる事象に対する、思想と意識の持ち方を自らへ言語化することを。(あくまで自らへだけど、そうでないと意味がないと思うから。)

といっても、好きなことしかしてないから、あとは言葉にするだけなんだよな。

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