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実感までの距離。

近しい親戚が、
またひとり他界してしまった。

喪服を一揃い用意してから、まだ2年と少ししか経っていないのに、一年と開くことなく袖に腕を通している。(実に4度目の出来事だ)

頭身で数えようとすると少し遠くなる間柄だけど、私の父を自分の子供同然に面倒をみてきてくれ、私のことも実の孫同然に可愛がってきてくれた人だった。


人に何かもらうのに、罪悪感を覚えてしまうタイプの私だったので、お年玉をもらうことに戸惑いを覚えてしまっていたけれど(なんの文脈もなく不自然に行いが褒められた時の様に)、あの人だけは、毎年気持ちよくもらえる図書券を用意してくれる人だった。

いつも甘く優しくしてくれたけれど、お茶のお作法を教えてくれる時だったり、だらしない身なりをしているとすっと指摘をいれてくれる人だった。

聡明で落ち着いたところがありながらも、朝が弱かったりいつも部屋が本で溢れていたり安心できる共通点が多くて子供の頃からどこかで親しい気持ちをもっていた。

近年、自分での身動きがとれなくなってからも、本を読むことだったり、季節の自然に好奇心をもって愛で続けていたことも、羨ましいようなあるべき大人の姿に見えていた。


まだ、どこか実感がもてていないけれど、決して悲しい別れでもないはずなのだ。私たちがこうしていて、そうしてまた明日もくるから。
きっと。

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