地元的な感覚のある母校
「あなた方の通っていた学校は、良し悪しもなく"変わってる"ってことでたまに話題にあがるよね」
と先日叔父に言われた。
あなた方、というのは私と夫のことで、私たちは高校のクラスメイトとして出会っている。
変わっている、というのも本当で、単位制の私服校で、とにかく自らの判断というのが自然と行われているところだった。
私は3年の時に文化祭の実行委員長をしていたが、母校の文化祭は、教務に11月の3日間を生徒会行事にあてることの依頼をして、契約書の取り交わしをする。そして生徒会費の予算案をだして生徒総会にかけるところからがスタートだった。ここまで徹底した自治のある学校は、そう多くはないと思う。
(広い選択肢を自由に選べる状態のためには、たくさんの規則があったほうがいいということを私はここで体感的に学べている。)
わたしが、母校のことで一番誇りに思っているのは「進学」指導ではなくて「進路」指導をしていたことだ。
所謂一流大学にいく人もいなくはなかったけれど、「大学に進学する」というのはどちらかといえばモラトリアム型なイメージがあり、どちらかというと「もう音楽一本でいく!」とか「あれになりたいから専門学校にいく!」という人たちの方が格好良くみえていた。学力だけでなくて、人間としての武器で各々をみる感覚で進路の話をしていた。
そんな高校時代がわたしはとても好きで、いつも愛おしくて、いまだ奴らとばかりつるみがちなのです。
同調勢力にけして屈しない、自由エリートばかり。
変わっているといわれるのも、世間知らずで良いとは言い切れないのもわかるけれど、この学校を教えてくれたお母さんと、土壇場で志望校を変えることを選んだ中3の自分には本当に感謝している。
そんな奴らといまから忘年会です。
スタートにあわせてちゃんとくる人数は、きっとすくないけど。