独りでいたい。独りは寂しい。
まえの記事で紹介したとおり、ぼくは「一般的」といえる部分がほとんどありません。さまざまな側面で「一般的な人」よりとても劣っていたり、ある面では優れていたりしていました。残念ながら優れた側面は歳とともに消えていっていますが。
一般的ではないので、公立学校などのランダムに集められた集団にはまるでなじめず図鑑とスタートレック、科学番組や裏山なんかが友だちでした。人間の友だちも少しはいたけれど一対一でしか遊べないため限られましたね。
独りでいたいんだけど人間の性なのかムリしてでも誰かと遊ばないとつらい、そんな感じでした。
それはいまでもおんなじで、古い友達への連絡を欠かさないようにしたりSNSを活用したり、面倒なやつだなと自分でも思います。文章にまとめつつ自分のめんどくささを整理したいと思います。
なぜかわざわざ不安定な状態をつくる
実際のところ一人でいるのが好きだし一番安全なのはわかっているんですよ。けれど不安になる。具体的には自発的に一人になったのではなく、孤立してしまったのではないか、周りに捨てられたんじゃないかという不安。
それを払しょくするために人とかかわったりする機会を作るんですが、たとえ家族であっても当然相手は自分ではない他人なので、失敗したなあとなることも多々あるわけです。
一人でじっとしていれば失敗しないし、それで落ち込むこともないのになぜかわざわざ失敗の種を撒く。みんなそんなもんなんでしょうかね。自分以外をやったことがないのでわかりません。
人とかかわるのが好きなのか?
給油労働者の記事に書きましたが、ぼくはモノを売るのがうまい方だと思います。ただそれはそのモノなりサービスが本当に相手にとって良いと思うから勧められるというだけなので、万能営業マンにはなれないでしょう。
話すことは好きだし、学会では落研出身だと思われていたこともあります。話すのがうまいと言ってもらえることは多いです。
だが失敗も多い。しかも致命的なもの。だからやっぱり人付き合いはヘタなんでしょう。
それでも人とのかかわりは欲しい
かつては、人とのかかわりにおいて自分が引き起こした失敗を相手のせいだと思っていました。「あいつの理解が足りない」とか「もっと寛容であるべきだ」とか。
ほんとうにそうだったのもあるにはあるでしょうが、いま思えば自分に非のある場合がほとんどですね。
なので、自分自身をできるだけ修正して失敗率を下げ、人とかかわりたいという欲求を満たしていきたいと思っています。誰にも迷惑かけずに。
なんにもしなければ以前と変わらないので自分なりに焦点を絞って「これはしない」ようにしていこうと工夫しています。「これはしない」は3つで、
○ 自慢話をしない
○ マウントとりをしない
○ 愚痴らない
ようするに、かつては口を開けば上の3つのどれかがほとんどだったんですよ。いまでも完全に封じ込めたとは思っていませんが、制御の範囲内で少し出すくらいはいいかな、とも思っています。じゃないときもあるけど。
じゃあなんで結婚したんだ
そもそも一人でいたいなどといっていながら、ぼくは結婚しています。その理由はとてつもなく思いあがった身勝手なものです。
1.自分は優れた側面を持っているから継承すべく子孫を残すべきだ。
2.あまたの命の上に自分の命があるので生命体としての義務を果たすべきだ。
嫁さんは後悔しているでしょうが(実際にそう言っている)、最近は長男ともそれなりの話ができるようになったし、ぼくはそれほど後悔していませんけどね。
なにより、この話をすると「かんべんしてよ、お父さんの気分が少し違っただけで自分の存在がなしになってたかもしれない者の身にもなってよ。」と長男がおそれますからね。
そうだねえ。あのお姉ちゃんとうまく行っていれば、あんた存在しなかったのか。
カッコいいじじいにでもなろう
ではこれからどうするのか。まえの記事の通り、さまざまな衰えを感じているので自分自身の状況が日々変化していることは自覚せざるをえません。
しなきゃいけないこととか、目指さないといけないことが日々少しずつ変わっていくんだと思って割合がんばらないとホントに誰からも相手にされない自分自身にも納得がいかないみじめなじじいになって死ぬことになる。
これからは体力も知力も衰えていく一方なので、これまでの反省は当然のこと、それ以上の的確な努力をしていかないとならないのでしょうね。
なんて書いてみたものの、できるのかね?そんな話。