中将 大木繁 (21) 1945年9月-1947年4月『空白の1年半』
大木司令官が、ソ連領内に連行された正確な日時は分からない。
日本憲兵正史、外史にも、正確な日時の記載はない。
正史・外史の記述によれば、1945年9月10日頃までは、
大木司令官は、新京の海軍武官府跡の仮監獄に投獄され、
ソ連側の取り調べを受けていた。
それゆえ大木司令官のソ連領への強制連行は、1945年9月10日以降、
おそくとも最後の編成が新京を出発した1945年の11月12日であったと
推測する。
靖国神社の御祭神調査では、
大木中将の死没場所は、モスクワ市モスクラブトイルカ。
死没年月日は1947年4月9日。
新京の海軍武官府跡の仮監獄に投獄され、ソ連側の取り調べを受けていたのが、1945年9月10日頃。
いつ新京からモスクワヘ移送されたのか、
1945年9月から1947年4月まで、どこで何をしていのか、
いまのところ「空白の一年半」を埋める資料がない。