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全ての人々への敬意を: 肩書きを超えて人間として尊重する
これは昔から思っていること。
昔から周りや親族が「有名な人はこういうところが好きだけど、こういうところが嫌い」とか「この会社の人間は〇〇だ」と言っているのを見て、「なぜそんなことを言う必要がある?」と思っている。
なぜなら、有名人であろうと他業界であろうと人であり、俺らと同じような苦しみを持っているからだ。
好き嫌いはまだいいが、それが発展して何も考えずに誹謗中傷に走るのは良くないことだと思う。
母はよく「あの人達は有名人だから。」とか「あの人達は私達と住む世界が違うから。」とか、「自分と他業界のあの会社は変だから」とか言っていたが、それがプラスの意味で言っているのなら問題はないが、「住む世界が違う」とか「他業界の人間だから」とか言って、相手のことをディスる口実を作って深く考えることを放棄する理由にするというのは、あってはならないことだと考える。
だったら、「あなたは住む世界が違うとか、他業界だから関係ないという理由で、深く考えずに相手を傷つける口実を作って、満足ですか?」と思う。
なぜ、そんな思考に至り、相手のことを尊重しない理由を作ろうと思うのは、普段の鬱憤を無関係な他者に向けたいのだろう。世界は繋がっているから少しは関わりを持っているのにね。
母の場合は要するに「私は他業界のことは考えられないので放棄します」と豪語しているようなものだ。
つまり、何も考えていない証拠だと思う。
俺は有名人や他業界の人の悪口はほぼ言ったことがない。顔と名前を一致させて覚えるのが苦手だからもあるが、そもそも他人の悪口を言ったところで何にもならない。「そんな暇あったら、自分のことに集中すれば?」と思うからだ。
どんな業界の人も「人」であり、「同じ苦しみ」も持ち、「同じ楽しみ」も持っている。それを考えずに、「他業界だから分からない」と言っているのは、その人達を「人」として見ることを放棄しているのではないか?と毎回聞きながら思っている。
引越し業者であろうと、服屋の店員さんだろうと、有名人だろうと、医療関係者だろうと、人であることに変わりはないし、理解され難い苦しみを皆、持っている。その理解が足りないとか、考えられないという理由で他者を傷つけていいことにはならないと考える。
〇〇業界という名前は人と人との共通認識でしかないと考えている、その仕事を表すために使われる言葉であって、自分を正当化するためや逃げ口上を並べるための道具ではない。そこを履き違えているから不思議に思っている。
社長とか、芸人とか、学者とか、〇〇という肩書きがつくのは、あくまでその人の属性や頑張ってきた証拠であったり、強みを表すための言葉であろう。これを理由に、傷つけていいとか、貶していいという理由にはなり得ないと考える。なぜ自分が深く考えられないことを、他者になすりつけるのかが理解できない。
俺はどんな場所に行っても、危ないところでない限り、店員さんだろうと運転手だろうと頭を下げる。俺の中には、「あなたにも似たような苦しみや悲しいこと、楽しいことがあるでしょう?全てを分かってはあげられないけど、あなたが楽しんで仕事ができますように。」という敬意を表する意味も含めて頭を下げている。
有名ではなく他業界の知人もあまりいない俺が言うことかは分からないが。
俺はまだ理解も洞察も乏しいから、全てを理解しているわけでもなく、全てができているわけではないが。
皆さんはどのように考えますか?