嵐山・五山送り火
こんにちは。
みっきいです。
お盆も終わり、社会人の夏休みも終わりましたね。
私は社会人1年目で、久しぶりの長期休みでしたが、特に変わったことはせず、、笑
音楽をしたり、本を読んだり、料理をしたり、
買い物に行ったり、たっぷり自分の時間を、
充実した1週間を過ごしていました!
8月16日は1週間ぶりに出勤し、
なんとか1日を終えて、ある所へ向かいました。
私のお盆休みで1番のイベント、
五山送り火です。
嵐山では灯籠流しもやっていました。
五山送り火は、毎年必ず見ていて
なんだか色々なことを考えさせられる行事です。
五山送り火とは
毎年8月16日、京都市内を囲む5つの山々に
大の字2つ、妙と法、船、鳥居の形が順番に点火されます。
お盆とは、あの世からこの世へ帰ってきた精霊(先祖)を供養するという由来がありますよね。
そしてお盆が終わり、8月16日に行われる五山の送り火は、精霊を再び冥土に送り帰すという意味が込められています。
嵐山で見る 五山送り火
嵐山で見られる送り火は、左大文字と鳥居。
そして、送り火と共に灯籠流しを眺めるのが嵐山での恒例イベントです。
海外の人も多く見にこられていて、とても賑わっていました。
屋台もあり、子供たちも楽しめるお祭りのような雰囲気でした。
とっても綺麗で見応えがありました、、
でもそれだけではなくて、
なんだか言葉には表せない気持ちになりました。
上手く言葉にできませんが、
あの世とこの世が繋がっているような感覚を持ちました。
死んだらどうなるんだろう
どこへ行くんだろうか
子供も大人も、みんなが、死ぬまで疑問にもつことだと思うのですが、
私は死というものにかなり恐怖心があります。
みんなそうかもしれませんが...
恐怖というのでしょうか、、
幼い頃に家族を亡くした経験があるので、
生きていること、死んでいくことに対して
とても敏感な気がします。
子供の頃、「お盆の時期には、ご先祖様があの世から帰ってくる。そしてお盆が終わったら、送り返さないと行けないんだよ」と教わってきました。
あの世とは、どんなところなのだろう。
死んだらどうなってしまうんだろう。
死んでいく不思議と怖さと、、複雑な気持ちになっていた子供の頃。
今でもあまり考えたくないので、
日々色々なニュースを目にする中で、
死に関しては目に入れないように、
逃げてしまっている気がします。
送り火と灯籠流しの風景が
わたしに教えてくれたこと
・諸行無常
お盆の由来は仏教の思想がもちろん入っているので、仏教の考えを少し取り上げたいなと思います。
仏教では、生老病死を含み、この世のすべては苦しみなのだと考えられています。
生まれ、老いて、病にかかり、死んでいく。
4つの人生で避けることができない根源的な苦しみ。
そんな苦しみの中で私たちは生きているのですが、今ある環境や今ある命、
全てのものに永遠なものなどないんだな、と思います。
・人間の煩悩
仏教でいう「苦しみ」とは、「思い通りにならない」ことの苦しみを表しています。
その苦しみの原因は、私たちに煩悩があるからだ、と考えられています。
死にたくない、ずっと健康でいたい、など。
それだけではなく、お金持ちになりたい、誰かから認められたい、などの地位や名誉、お金など、多くのものを日々求めながら生きています。
このような欲に執着し、思い通りにならないことによって私たちは日々苦しんでいるのだそうです。
人間はいつも欲にまみれて生きている。
しかし、それに気づくことができたとしても、
やっぱり、特に死というものに関してだけは、
怖くて逃れたいという気持ちが出てきてしまいます、、。
これも人間の欲なのでしょうか。
私にはまだ分かりません、、。
・生死の重み
死ということから目を背けて生きていたい
と思ってしまいますが、
人は必ず老いたり病にかかって、
いつかは死んでいくものなんだなと、
五山の送り火と灯籠流しを見て感じさせられました。
8月16日は私にとって、
いつかはみんな死んでいくことと
そして今この瞬間を私たちは生きていることを
感じる貴重な1日です。
いつも私が思うのは、
自分たちが今ここに生きていることに感謝しよう
ということです。
私たちは沢山の欲を持ちながら日々生きていますが、
ご先祖様から繋がれたこの大切な1つ1つの命というものは、本当に貴重なものだと、
そんな壮大なことまで考えてしまいます。
また来年も見に行きます。