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人の前に立つ



"人の前に立つ" を勘違いしてる人がいる。

立とうとする人も、
立っている人を目の前にしている人も、
勘違いしてはいけない。


さも、人の前に立って指導・先導している
かのように見せかせて、
ただ人を使っているだけの人がいる。
協力を仰いでるんじゃなく、使役しているのだ。

その為に前に立ってる。
人を使う為に、前に立ってる。
その人を飼ってる気にでもなっているのだろう。

「引っ張っていってあげる。
食べ物も寝床も与えてあげる。
可愛がってあげる。
私を満たしてくれている限りは。」..と。



そうではなく、人の前に立っている人がいる。
"人の前に立っていた" が正しいのかもしれない。
人の前に立つ気なんてないのだから。
気づいた時には人が後ろにいて、
自然、人の前に立ってる構図になっていた。
ただそれだけ。
"人の前に立つ"ことが結果論なのだ。

「私は誰も見ていない。
見てるけど、見てない。
誰より1番に自分を見ているから。」..と。




"人前に立つのが嫌だ"
そう言ってる人がいた。
多勢の前で話すのが好きではないらしい。
その実、人に頑張らせて自分は頑張らない。
人のことを暇だと言える暇っぷり。

この人は確かに、"人前に立つのが嫌" なのだ。
人前に立って引っ張っていく気概なんてない。
いつも誰かに「引っ張ってくれ」と言ってるのだから。
要するに使役したいのだ。
矢面になんか絶対に立てないのだ。



また、別の "人前に立つのが苦手"と言う人がいる。
まるでそうは見えない。
人前に立って話しているからだ。
ここぞという時なんか堂々と話している。
確かに自分から前に出たりしないのだけれど。
この人には、気概があるのだ。
やるしかないからやってるという気概。
誰かに「引っ張ってくれ」だなんて言えないから。
ともすれば、危ない矢面にも立ってしまうくらい..


パッと見なんかで判断してはいけない。
大事なものを見過ごし、大事なものを傷つける。

誰かに「引っ張ってくれ」だなんて言えない人、
そんな人から学びたい。その人は必死だから。

必死だからとにかく直向きで、
「引っ張ってくれ」って奴みたいにうるさくないから
一見気づきにくいのだけれど。


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