死ぬ勝手、生きる勝手
通じないものと、通じるものがある-。
何て軽くて雑なんだろう。
何て浅くて都合がいいんだろう。
人は暇なんだって、知っていた?
頑張っている人は驚くよな。
人がそんなにも暇だったと知ると。
でもね、暇なんだよ。
暇だから言える、人に「お前は暇だね」と。
それも遠回しに。
そして自分は違うと、
人に明かしてでももらおうとする
人任せっぷり。
さぞ楽しんでいることだろうよ、
人の重い足取りを。
人が苦しんでいないことが、嫌なんだよな。
信じられないが、これが、
暇な奴らのお楽しみ。
好ましくない状況を遮ることに、
必死になって焦ってる。
本当の怒りは、マグマのよう。
重く泥々としたこの怒りは、
私をここに留めてくれる。
ふざけたことを言っていやがる。
ウソばっかりを並べていやがる。
だけどそれこそ、そいつの生きれる理由。
一度も死ぬことなんて出来ない理由。
"言える" と "言えない" の大きな違い。
"言えない" ことにたくさん詰まってる。
見えないだろうな、見せるつもりもない。
わかる人にだけわかる物。
目の前の物に込めてある。
内緒の話をするために。
渡し合うとか、繋がり合うとか
そんなものがあるとしたなら、
こういうこと以外、何もない。
こういう勝手をやっている。
こういう勝手をやっていく。
そういう勝手をやってる人を、
勝手に見ていて気づけたから。
浅ましいやつの勝手を見て、
勝手に死ぬのは間違っている。
おかしいことをおかしいと思えない、
そのことが一番おかしいって、
気づかないといけない。
本当に何も渡す気のない人を、
勝手に見ていると気づいてくる。
自分で自分に渡してる人は
溢れてるから、泉のように。
その一滴一滴に見惚れていたら、
勝手に息が戻るから。
あなたの側のその人の勝手で
あなたは勝手に死んでいっていないか
気づくとこから勝手が始まる
本当の "生きる勝手" が始まっていく