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医師のバーンアウト

近年、医療現場において「バーンアウト」(燃え尽き症候群)が深刻な問題として浮上しています。特に医師においては、長時間労働や高い責任感、患者との関係性などが原因で、精神的・身体的な疲弊が進行しやすい状況にあります。

バーンアウトの現状

日本における医師のバーンアウトは年々増加傾向にあります。厚生労働省の調査によれば、医師の約40%がバーンアウトの兆候を示しており、特に若手医師や女性医師に多く見られる傾向があります。

バーンアウトの主な原因

  1. 長時間労働と過重な業務負担
    医師はしばしば長時間にわたる勤務や当直を強いられ、休息が不十分な状態が続きます。

  2. 感情労働の負担
    患者とのコミュニケーションや医療判断に伴う責任感は、医師に大きな精神的負担を与えます。特に患者の生命に直接関わる状況では、ストレスが増大します。

  3. 組織的サポートの不足
    職場環境や上司からの支援が不足していると、医師は孤立感を感じやすくなります。

バーンアウト対策の重要性

  1. 個人レベルの対策

    • セルフケアの実践:適度な運動や趣味の時間を確保し、ストレスを軽減する方法を見つけることが重要です。

    • メンタルヘルスのケア:カウンセリングや心理的サポートを積極的に利用し、精神的な負担を軽減します。

  2. 組織レベルの対策

    • 労働環境の改善:勤務時間の適正化や休暇取得の促進など、労働環境を整えることが必要です。

    • サポート体制の構築:メンタルヘルスの専門家によるサポートや、同僚とのコミュニケーションを促進する仕組みを導入します。

まとめ

医師のバーンアウトは、個人の健康問題に留まらず、医療システム全体に影響を及ぼす重大な課題です。持続可能な医療提供のためには、医師一人ひとりのメンタルヘルスを守るとともに、組織全体での支援体制の強化が不可欠です。医療現場全体でバーンアウト対策に取り組むことで、より良い医療環境の実現を目指すべきでしょう。

ここまではよくある記事

あーはいはい、いつものやつね、とそう思われれただろう。かくゆう私もバーンアウトを経験した身である。ネットで記事を探すとこんなものばかり出てきて、マインドフルネスや筋トレなど実施し、なんとかならないか試行錯誤した。しかしそんなものは、なんの効果もなかった。

個人ではもうどうにもならない

この記事で一つ正しいと思ったのは、バーンアウトは個人の問題ではなく社会、システムの問題だということだ。社会的に大きな問題になった、ということは人間が変わったというよりも社会が変わった結果と考える方が妥当だろう。かつて遊牧民が、定住を始めたせいで排泄物の処理がうまくできず、感染症に悩まされたようなものだ。私たちの周りのシステムが変わったのに、ちっぽけな個人になにができるだろうか。

システムの何が変わったのか

それではいったい社会の何が変わったのだろうか。これは端的に、第三次産業、つまりサービス業が主になったということがいちばんの影響らしい。かつての歴史をみると農耕や製造業など、「作業」を中心とした労働が私たちの職業の中心であった。ここでは多少イライラはするものの、作業に「感情」をすることはなかった。

サービス業になると対人関係が増え、そこには本来必要なかった「感情」を仕事に使う必要が出てくる。感情は人間の根源的な性質で、プライベートなもので、必要以上にコントロールしなければならないようなものではなかった。しかし仕事となると、安定した商品を生産するためにコントロールしなければならない。医師ならば患者に対して、感情も商品として差し出す必要がある。

簡単に死ななくなった

もう一つは餓死や病気の心配が減ったことだろう。生命の危機がない私たちは伸び切ったゴムのようにだらしなく生きている。生存に必要な交感神経は働かず、怠惰なリラックスが続いた結果、脳に報酬がもたらされない。

どうしたらいいのか

システムがそうなってしまった以上、個人で対応する手はない。枠から出ていく、つまり世捨て人になるか、システムに迎合するしかない。ただし、ささやかな抵抗もできるかもしれない。

仕事に依存しないこと。
仕事にやりがいや生きる意味を見出さないことだ。

やりがい搾取という言葉が流行りだが、そもそも仕事にやりがいを見出してはならないのだ。それは経営者の甘い蜜、私に金銭以外でなんとか報酬を捻り出しているに過ぎない。特に医師は社会的意義を見出しやすく、成果がわかりやすく、また感謝の言葉が直接的に自身に届くことから、やりがいを感じやすい。やりがいは自分の脳に報酬をあたえ、麻薬として残る。しかしそんな罠に嵌ってはいけない。古代人類の生きるための行動、つまり採集や狩りにやりがいがあっただろうか。やりがいは趣味にのみ許される。

挑戦しろ、挑戦しろ

巷のエリートはこういう。挑戦しろと。挑戦すればアドレナリンも出て、擬似的に活力が湧いてくる。でも多くの凡人は群れるしかできない。お上の与えた命令をはいはい聞いてきた私たちにそんな力はない。もちろん挑戦できる人は是非するべきでだ。仕事をやりがいにできるかもしれない。社会のために価値を生み出し、日本を発展させよう。でも少なくとも私はそうはならないだろう。

別の軸をもつ

逆を言うならば、仕事と別のことにやりがいや生きる意味を見出す必要がある。信仰でもよいし、アート、趣味でもよいだろう。あえてここに口を出すとすれば、「消費」でない方が良いと思われる。推し活、旅行、グルメもよいが、欲望に再現がなく飽きがくる。

基本的に私たちが学ばなければ世界は広がらない。草木の名前を知ればいつもの道が急に植物園になる。
消費でない趣味はコストがかからないのも良い。ノートと鉛筆で絵を描いてもいいし、安いキーボードをかってピアノの練習をすることもよい。
なんにせよ、続けることができる、というのが何より重要だ。


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