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頭の良さそうな人が書いているnoteを見た
たまたま、頭の良さそうな人が書いているnoteを見つけました。
実際にとても頭がいいから、頭が良さそうに見せることができているのだと思います。
2022年あたりに書いていた学生でした。
たくさんの興味深いものを考えたり書いていたりしました。
それを、論理的に、順序も分かりやすく、尚且つ、毎日3000字書くことなんて簡単だ、と思っている人たちです。
私との違いは、ボキャブラリーの差と、論文に馴染みがあるかと、リサーチ力だと思いました。
やはり上には上がいると思いました。
ですが、唯一発見した自分の良いところは、脳みそよりも感覚的に行動できることだと思いました。(すごい人に対抗しようとしているのか、ただ冷静に分析しているのか。けど、対抗してライバルに思ったってことは自分に近いと思ったからですかね?)
その人は、動かない人を少しでも動かすためにnoteを始めた、と書いていましたが、私はその逆です。
きっと一人だと動かない人たちを動かし終わった結果、noteを始めることにしました。
(そこだけ、先に行動できていたことに思いました。ですが、その期間もバンバンいろんな行動に移せている人に思いました。)
理由としては、自分にはまだスキルが足りていないと思ったからです。
まだ自分のことがしっかりできていないのに、人のことなんて考えられないことを改めて実感しました。
それでも、また、いつか、動かない人を動かそうとしているのなら、道草を食っているのかもしれません。けど、これはいい道草な気がしています。
この人のように、バランスの良い文章が書けるようになりたいと思いました。
ですが、自分には自分にしか出せない良さがあることも少し分かります。
バカさ、くだらなさ、は私にしか出せないものだと思っています。(そいういことにも気付けるnoteって面白いですよね。すごい人の考えにサササーっと触れられる。)
だから、要素だけ取り入れたいです。
だから、構成などを考えたりなどの要素を取り入れて短めに簡単にと思ったのですが、
論文を書いていた時のことが蘇ってきました。
私の大学は特殊なため、あまり論文を書く機会はありませんが、論文を書くとき、いくらでも書けるわ、と思ったことを思い出しました。
2000字書けば良いものを、私は4500字書きました。
だって2000字以上って書いてあって上限ないっぽかったので。
そしてそれを書くのが苦じゃなかったのも思い出しました。
書く手が止まらず短時間であっという間だった、のも覚えています。
論文が本業ではない業界のため、先生も読むのが大変だったと思います。
もしかしたら、読んでない可能性もあります。。
これを思い出して、自分がびんに詰められたノミになっていたことに気づきました。
この人のnoteに書いてあることと同じように、質より量です。
自分が50投稿して、どんな変化が起きるのか、自分で体験します。
意識高い系みたいな発言かもしれませんが、passionがあるだけだと思います。
文章の書き方に慣れたり、速くなったり、構成を考えられるようになったり、投稿することに慣れたり、質も大事にできるようになるのだと思います。
きっと本番はそこからなので、今はひたすらしょうもないことでも搾り出して2週間以内に50投稿してみます。
結論
書いてあることと行動が共なるようになりたい。
文章や脳内にあることと、行動や現実を一致させてゆく。
もっと簡単にできることを思いだせた。
今は質より量。
おバカなおしゃべりに、論理的な文章力が備わったらすごく強そう。