見出し画像

お城旅 鳥羽番外編 九鬼嘉隆

信長の野望では武力80ぐらいで水軍指揮がSといった水軍の将の九鬼嘉隆について水軍展から
鳥羽城の古地図があり
九鬼氏の出自などは諸説あるようですが、熊野水軍あたりから派生し、波切(なきり)付近を根城とした豪族のようです。
大王崎灯台がある波切は熊野灘との海流がぶつかる海の難所だったようです。
リアス式海岸(今では呼び方が少し変わってるようです)が広がる志摩地方を根城にしています。
海上を行き交う船の水先案内や、警護などなどを生業としているあたりが村上水軍などと似通っていますね。
木曽三川に囲まれる長島本願寺攻めなどで、武功を立てたようです。
そして、九鬼嘉隆といえば木津川口の戦いでの鉄甲船ですね。
約10年にも及ぶ石山合戦は、今の大坂城に位置する大坂本願寺との戦いに救援や補給に来た毛利水軍などと戦い、潮目の変わる戦さとなったみたいです。
大坂本願寺攻めの大将であった佐久間信盛くんはこの後、攻撃がぬるいなどとお叱りの折檻状を信長から言われたりもしてますww
信長亡き後も造船技術などを買われ、戦国の世を渡り歩いてますね。
この鳥羽の街にも全国に5つある商船高専のうちの1つであり、最も歴史のある鳥羽商船があります。
朝鮮出兵がらみで大河ドラマにならない作品などがあるようで、残念ですね。
海を渡るのには当然大船団がいるわけですが、大きさといい大砲の数といいなかなかのものではありませんか。(もちろん他国に侵略して良いわけありませんが)
大手門が海側にある珍しく、相橋が陸側ですね。
最近では坂本城の石垣などが出土したりと、まだまだ歴史に埋もれた遺構などもあるかもしれませんね。
豊臣家との関係を示す大事な資料のようです。
勝手に頭丸めるなよ〜ってことらしいです。
鳥羽の絵図が松江に眠っていたんですね〜。
犬伏の別れのように九鬼家も親子に別れ東西で争ってます。
助命嘆願も虚しく行き違いにより(九鬼家の行く末を案じた家臣の豊田五郎右衛門が独断で嘉隆に切腹するよう促し)最後の時を迎えることになりました。
答志島と
常安時に弔われているようです。
敵味方を分別する九鬼のマークです。

と、マイナーな武将九鬼嘉隆でした😌

次回予告
『女性の願いを叶えてくれる石神さんとは』

いいなと思ったら応援しよう!