心のチカラを信頼する。親子でHSPのわたしたち
今週の月曜日、ムスメは修学旅行で沖縄に旅立った。
朝6時過ぎの暗闇に浮かびあがるバス停で、「だいすきだよ」と声をかけあい私たちは別れた。
コロナのご時世もあり、彼女と親和性の高い級友たちは残念ながら不参加だった。出発前の班決めから部屋割り、旅行中の自由時間を誰と過ごすかに至るまで、こんなとき独立系の生徒は切ない。
だが個人ではまわりきれないスポットも網羅された旅行内容は、海の生き物好きな彼女には見逃せない充実ぶりである。
「しろちゃん(ムスメの愛鳥)のお世話を気にせずに旅行できる機会はそうないし、シュノーケリングがしたいから参加するね」と、彼女は寂しい思いをするかもしれないと覚悟のうえで、南国へ旅立った。
自分の高校時代を振り返ると、仲の良い友人たちとクラス替えで離れ、独りでいるのが嫌で友好的なグループに入れてもらっていた。当時から颯爽と
単独行動をする女子はいたが、彼女が抱えていた(かもしれない)悲しみには無頓着だった。私の場合はスイミーに出てくる小魚の集合体のように、
友人と群れることでパワーを得て、自在に振るまえていたように思う。
そんな過去の自分からすると、ムスメの行動はあっぱれだ。
繊細=弱い、ではない。
苦手な団体行動を4日間もしなければならない……と本人なりに葛藤はあったようだけれど、「私が決めたことだから」と言いきった姿が頼もしかった。
とはいえ初日と翌日は「しろちゃんは元気?」「サメの牙のネックレスを
購入しようかと思うんだけれどどうかな?」など不精な彼女にしては珍しく連絡を入れてくる。
(さみしいんだなあ)
と気持ちを汲みながら、それには気づかないふりをして「楽しんできてね。旅行から帰ったら久しぶりに会おうねって〇〇ちゃん(ムスメの幼なじみ)から伝言あったよ~」と伝えた。
2人でくすんとしても良い現実は生まれなさそうだし、ひとりぼっち感を軽減できる、嬉しい話題を提供したつもりなのだ。
だからといって、私がどんと構えているわけでもなくて。
昼食は誰と一緒に食べたかしら、寝る前とかに皆できゃっきゃっしてるときにはどうしてるんだろう、ぽつんとしているのかなあ、と心配が膨らみそうになる。でも暗い思考に引っ張られずに、優しい子もいるし他に気の合う子も参加しているのだからなるようになるだろうと、気持ちを立て直した。
もしかしたら傷つく経験をしたかもしれない。
逆に思いがけず級友と、話が盛り上がったかもしれない。
ただ、どんな感情を味わおうと全ては良き思い出に変わる。HSPの先輩でもある私が自信をもって言えることだ。楽しくてもイマイチでも、罰ゲームだったとしても何でもあり。
世界は優しく、ひとの心はしなやかで強い。
だから大丈夫。
ムスメの帰宅まであと3時間弱。
一番ドキドキしていたのは、実は私かもしれない。
ムスメよ、お疲れさまでした。
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