ムスメに伝えたい暮らしの作法 輪島塗のある暮らし・その2
心のよりどころになる暮らしのルーティーン
暮らしを整える大切さを、年々実感するようになりました。
大学受験を再来年に控え、独り立ちする日の近づくムスメに、家事まわりのあれこれを話しておきたい気持ちも生まれています。
ただし、一人暮らしの家計管理や自炊の方法などのスキルをどうするではなく、わたしが彼女に伝えたいのは、すこやかに生きるための暮らしの作法。
この先彼女にベッドから起き上がれない日や、コンビニの店員さんと目を合わせる行為すら避けたくなるときがもしかしたらやってくるかもしれない。
あるいは部屋には寝るためだけに帰り、細々とした営みや自分の想いをなおざりにしたままタスクをこなす時期もあるでしょう。
生きていると、誰にでもご機嫌ではいられない状態・状況が訪れる。
そんなときに救いとなるのは、友人の一言や、見上げた空の青さや、顔見知りの近所の猫との遭遇だったりするけれど、いつも最適なタイミングでレスキュー要員が駆けつけてくれるとは限らないし、相手にも都合がある。
できれば日々の営みを通じて、ほんの数ミリでもいいから自分自身で心を
浮上させる術を、ひとは会得しておくと良いと感じるのです。
世界で何が起ころうと、「淡々と繰りかえす日々の決まりごと」が暮らしに存在していれば、それをよりどころに人生は続いていく。
掃除や料理のような細々とした家事に無心で取り組んでいるうちに、まぁいいかと気を取り直す瞬間が訪れる。
今はひっくり返したおもちゃ箱の住人である彼女と、こんな気持ちを分かちあえる日が来たら嬉しい。
効率はとりあえず横に置いて、日々の営みに無心で取り組んでみる
寝る前にはテーブルに広げたノートや資料、郵便物にお菓子を全部片づけて、テーブルを何もない状態にする。
朝起きたら部屋の一か所でも良いから床の水拭きを行う。
保存容器に干しシイタケと昆布を水に漬けておいて(水出汁(だし)ですね)、飲みたいときにお味噌汁やお澄ましを作れるように準備しておく。
何でもいいから自分に心地よい行動を続けてみると、明らかに心身の調子が良くなるのを感じます。
「静」と「動」、もしくは「陰」「陽」に偏りすぎた心身のバランスを中庸に戻すには、外側よりも内側に目を向けるとバランスがとりやすい。
それには心の内面とリンクする、暮らしまわりの作業をするのが効果的。
突風のような出来事に翻弄されそうになっても、いつものルーティーンを行い、常備菜を口にすると、速やかに自分の起点に戻ってこられる。
自分は何があっても大丈夫なんだと、強張った気持ちがふんわりとほどけていく日常の積み重ねの力を、遅まきながら実感しているわたしです。
器に呼び起こされる子ども時代の記憶
子どもの頃、実家では母が朝玄関先に打ち水をしていました。
毎日の雑巾がけで内側から光沢を放つようになった廊下と、水を撒かれて
濃さの増した、湿ったコンクリートと土の対比。
下駄箱には庭の花を生けた青銅の花瓶が置かれ、その下には手製の白いレースのドイリーが敷いてある、日常のありふれた風景を今でも覚えています。
毎朝わたしは清められた空間をくぐり外の世界━━雑多で埃っぽい内履きの匂いのする学校へと出かけました。
内向的なわたしにとって学校はジャングルのようだったけれど、自宅に戻れば、その静かな佇まいから放たれる気配に包まれ安心できた。
母の手により整えられた暮らしのしつらえに護られ、自分のリズムを取り戻せたのだと思います。
そっと輪島塗に触れていると、小学生の頃の記憶が甦りました。
暮らしのおさらいを始める人生の秋
この数年間「人生の過渡期」だからと、身辺を整える行為を疎かにしてきました。
有難いことに乗り越える課題をクリアする時期を通り抜けたいまは、義務感を抜きに、暮らしまわりを見直したい欲求が高まっています。
暮らしの作法は幾つからでも身につきますが、継続が大事なのは和のお稽古にも通じるようで難易度は少々高め。
一旦中断したわたしには、再度取り組むための起爆剤が必要で、輪島塗がそれにあたるんじゃないかと感じています。
毎日の生活でおさらいを兼ねて、まずは洗う・拭く・しまう行為に心を込めよう。
節度ある暮らしのもたらす心の平安を、ムスメと一緒に味わっていきたい。
●本日の輪島塗
らくらく椀
底深い艶の美しさが目に快い、宝物を入れたくなるオブジェのような器。
料理を盛り付ける前に部屋に飾ってみました。