Life is beautiful.
去年、息子と10日間モロッコを旅した。
グーグルマップに載っていないフェズという街を常に迷子になりながら歩き、サハラ砂漠で1泊キャンプもした。マラケシュで飲んだオレンジジュースは人生でいちばん美味しかった。
サハラ砂漠では夜明け前から裸足で歩きまわり、
太陽が昇るのを2人で並んで座ってぽかんと眺めた。
旅全体が素敵な経験で一生忘れることはないけれど、
一番の思い出はマラケシュのルーフトップバーでビールを飲みながら、
彼と真剣に話した3時間だった。
たった一度の人生で、私たちは親子として出逢って
人からそれなりに、ゆたかで幸せそうだと思われる人生を歩んでいるけれど、
「ゆたかさの内容成分」ってなんだろう?
私たち親子は気づけば真剣に語り合っていた。
これは、
そんな私たち親子で導き出した「ゆたかで幸せになる人生の歩き方」である。
お金いっぱい=豊かさ。は違うらしい。
お金がいっぱいあっても幸せそうじゃない人を沢山見たことがある。
実際に、ファーストクラスのお客様で、
「お金も地位も名誉も全部手にしたけど、ボクには愛がないんだよね。」
と当時20代の小娘だったワタシにこぼしたお客様もいたし。
(それって口説かれてるってママ気づいてる?と息子には言われた。)
お金で買える豊かさには、「飽和値」が存在する。
そして、人は富や成功で得られる豊かさにはすぐに慣れ、
それは時間とともに薄れてしまうものでもあるようだ。
豊かさはお金がいっぱいあること、とか
Rich=Happy と短絡的に考えるのはどうやら違うらしい。
「ゆたかさセンサー」を磨くのはよさそうだ。
コップに半分入っている水は Half fullなのか?Half emptyなのか?
こんなに入ってる、なのか? もうこれだけしかない、なのか?
人は死ぬ。人生は限られている。
今も私たちは「死」に向かって進んでいる。だから「今」は当たり前じゃない。
もしiPhoneに人生の残り時間を表示するアプリがあったら?
その時間がもし私たちの想像よりずっと短かったら?
「生きること」さえもが「当たり前じゃない」ことに気づけたなら?
きっといろんなことに感謝する。
ゆたかさセンサーを磨いて小さなサイズの幸せも、
ちゃんと「イイ。」と感じることは良さそうだ。
「いつも上機嫌でいる」ことはよさそうだ。
「ゆたかさセンサー」を手に入れたら、
小さな幸せも見逃さない上に、
どんな些細なことにも感謝するセンサーも手に入れることができる。
すると人は上機嫌になる。
上機嫌でいると、周りの人をも上機嫌にする。笑顔は連鎖する。
生きてりゃ思う通りにならないことだってたくさんある。
その度に不機嫌になるのか?
そんな時間の過ごし方、私たちのやりたい事なのか?
どんな時も上機嫌でいる努力をすること。これってきっととても大切。
笑顔だから幸せなのか?幸せだから笑顔なのか?
この2つはニワトリタマゴ。でもどっちが先だっていい。
だから、笑顔でいること、上機嫌でいることは
きっと「ゆたかさの発露」だ。
「信じるココロを持つ」ことはよさそうだ。
数年前、鹿児島の知覧に家族で行った時に読んだ特攻隊員の遺書は、
なぜか幸せそう、もしくは満たされていそう、に私たちには見えた。
残念なことに爆弾を体に巻きつけるような自爆テロが現在もいろんなところで起きている。
彼らは泣きながら死ぬのか?笑いながら死ぬのか?そんなことを考えてみる。
なにかを強く信じることは人生の満足度につながっている気がする。
何かを信じて誰かを信じて裏切られる思いをしたことはみんなあるけれど、
「この人」もしくは「この人たち」は「絶対」という人が人生にいるということは
ゆたかだと思う。
そういう意味では私たちは仲良し親子だからいい感じだね。
でも忘れちゃいけないこと、それは、「自分を信じること」だ。
自分と誰かを信じ続けること。これも、良さそうだ。
「自分で決める」ことは、きっと「ゆたかさ」への入り口だ。
スポーツは野球でもサッカーでもルールがあって、それを判断する審判がいる。
自分の人生の審判は自分だ。
審判が「ストライク!」と言えば、何人かが「ん?」思っていても
ストライクになる。
人生は自分が「ゆたかだなぁ。」と言うか言わないか。
負け惜しみや何かの洗脳ではなく、心から「Life is beautiful.」と自分で言えた時、私たちは絶対にゆたかで幸せだ。
私たちの人生の審判はそれぞれたった1人しかいないのだから。
何を食べるか、どんな靴を履くか、どこに住むのか、誰と付き合うのか、
どんな仕事をするのか、病気になった時どんな治療を受けるのか。
人生は「自己決定」のチャンスだらけだ。
子育ての過程で、ワタシは息子の自己決定をとにかく尊重することを心がけてきた。彼は自分の人生を自分で決めて生きている。
ワタシからみて、それって「ゆたかな生き方」だけど、どう?
「そうだね。」と言ってくれた彼になんとも感情が溢れる。
ゆたかさは「いま」「すぐ」「ココ」にあった。
ゆたかさセンサーを磨き、いつも上機嫌で
自分と大切な人たちを信じ、自分で決めた人生を歩くこと。
これが息子と導き出した「ゆたかで幸せな人生の歩き方」である。
そして、このマラケシュでの3時間が
ワタシのたった一度の人生の最高にゆたかな時間のピークのひとつだったことを
付け加えておきます。