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『神々の山嶺』夢枕獏

「なぜ、山に登るのか。」あまりにも有名過ぎる答えを持つこの質問に、自分ならどう答えるだろうか。そう自分に問いながら、読み切った。

この小説は登山に似ている。ぼくの登ってきた山なんてたかが知れているが、楽々登れるところもあれば、自分の命の危機を感じるようなヒヤヒヤするところもあり、頂上付近で自問自答しながら歩くような場面もある。
すごく穿った言い方をすれば、人生は山だとこの小説は語っているように思う。

何故。どうして。何のために。
これをしてどうなる。何が得られる。何物になれる。お前は誰だ。何ができる。何ならできる。何になりたい。
そんな、考えたくもない自問自答と真剣に向き合う機会を僕は持てているのだろうか。日常の中で命の危機を感じるほどのヒリヒリした体験をできているだろうか。

この小説に出てくる羽生丈二のような生き方は何よりも辛い。不器用で、夢や目標に真っ直ぐで、そのためなら周りのことなんて気にしない。ギラギラして何かに飢えているような目をして、ヒリヒリした命のやりとりをいつもしているような生き方。

狂ってる。頭がおかしい。理解できない。
弱い人間は、誰もが簡単な言葉で否定する。だって理解できないし、理解しようとしていないから、理解してしまったら自分の小ささが分かってしまう、だからこそ簡単な言葉で否定する。
楽だから。傷つかないから。僕らは彼のような人間を悪者にする。いや、するしかないのだ。

僕もこの小説を読みながら、羽生から逃げた。彼の命懸けの挑戦を見届けることを放棄しようとした。本の中にしかいないはずなのに、彼は遥か彼方、世界最高峰の頂を目指して続く白銀の荒野の中を真っ直ぐに前だけを見据えて歩いている。実在の人物の如く。真っ直ぐな狼のような目で僕を見つめてくる。目を逸らすな、そう言わんばかりにまっすぐな目で人類最高峰の地面を1歩、1歩と進んでいく姿が脳裏に浮かぶ。
分かった。覚悟を決めた。お前に付き合う。なんと言われようと、僕は決めた。

そこから、一字一句を噛み締めた。最後の最後まで。そして、終わった。どっとした疲れと、胸を打つ熱い気持ち、小ささに打ちのめされた自分だけが残った。まるで山を登りきったような疲労感と達成感。やっぱり、この小説は山だ。

僕はこの小説に出てくる「〜屋」という表現が好きだ。
これは誰でも言えることではない。この小説を読めば分かる。ちゃらんぽらんな奴にこれを名乗る資格はない。そして、僕もまだこれを名乗る資格はない。だから探さなければ行けない。ここはエベレストでもない。登山靴もアイゼンも履いていない。ピッケルもカラビナもアイスハンマーも持ってない。普通の靴でコンクリを歩くだけだ。自問自答しながら人生という山を登るしかない。止まったら死だ。何もしないことは死につながる。1センチでも、1ミリでも進み続けなければ。

打ちのめされた。負けた。打ちひしがれた。悔しかった。歯痒かった。だが、そこから始まる何かを見た。
嗚呼、酒に酔ながら文章なんて書くもんじゃない。痛々しい。柄でもないし、惨めだ。
だけど、そんなに悪い気はしていない。

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