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『引きこもり探偵』第八話 乗り移って、秋

 救急車と警察車両の到着はほぼ同時だった。もう既に死後何時間も経っており、蘇生は不可能であることを告げられ、編砂あみすなは再びくずおれた。

 文時ふみときは犯人を知っている。また、このアパートの他の部屋に別の犠牲者が居ることも。
 運が良いことにこの現場に来たのは文時ふみときと数多くの事件を解いた美汐良みしおら警部である。何とかして彼に伝えれば、彼はこの謎を解いてくれると文時ふみときは思った。しかしながら伝える手段が霊魂である彼には無い。
 美汐良みしおら文時ふみときの遺体の前で手を合わせて黙祷を捧げていた。目を瞑ってから数分が経つが、眼を開ける兆しが無い。文時ふみときが訝しげに彼の顔を覗き込むと、唇を噛んでプルプルと震えていた。鼻の下にできた二筋の川が、ぴかっと光る。時折、ふしゅっふしゅうっと言う蒸気機関的な音が口から溢れ出ていた。文時ふみときはそれを見て、また申し訳なさそうに俯く。
 暫くして、顔をパンパンと思い切り叩き、大きく息を吐いて自分のスーツの皺を伸ばすかのように太腿をパシパシと叩いた警部は、すくっと立ち上がり、編砂あみすなに目を向ける。

「あなたが、警察に連絡をくれた第一発見者の方ですね」

 美汐良みしおらの問いに編砂あみすなは無言で力なく頷いた。

「失礼ですが、被害者の起戸見きとみさんとはどういったご関係で?」

 日本政府が名探偵起戸見きとみ文時ふみときを秘密裏に軟禁していることを美汐良みしおらは知っていた。文時ふみときから電話を受けたからだ。しかし、編砂あみすなが彼の世話をしていることは知らない。彼女としては隠し立てする必要もないうえ、下手な勘ぐりを受けないように正体を明かしてしまった方が良かった。しかし彼女は顔に暖簾を掛けたまま、か細い声で紡ぎ出した。

「恋人です」

 警部の顔に電流が奔った。彼の調べでは、起戸見きとみに恋人はいないはずである。しかも長い間軟禁されているのも知っている。

「おかしいですね。私、実は被害者の起戸見きとみ君とは知り合いでしてね。恋人の話は聞いたことがないのです。まして第一発見者のあなたの口からそんな言葉が出るとなると、大変疑わしい。と言うか、疑わざるを得ない。まさかあなたが殺してしまった、なんてことはないでしょうね」

(何を疑い出しているんだ美汐良みしおらさんは! 彼女は潔白だ! ああでも第一発見者を疑うのはセオリーだから当然か。いやそうじゃなくて、まずい。……でも彼女を調べたら政府関係者であることはすぐに解るだろうし、アリバイもきっとあるだろうから、大丈夫かな)

 編砂あみすなは俯いたまま、答えようとしない。視線は地面を見つめているが、それは地面と言うよりは空虚を睨んでいるようだった。眼鏡の奥のブラウンの瞳が、水面も無いのにそれを見つめた時の様に揺れている。

「私が殺しました」

 美汐良みしおら文時ふみときは同時に目を見張った。

(何を言っているんだ!)

「では、詳しくお話を聞きたいのでご同行願いますよ?」

 編砂あみすなは頷くでもなく、一歩前に出る。

(くっそ! 訳が分からないがこのまま捕まらせてたまるか! できるかどうかわからないし、痛かったら申し訳ないけど、美汐良みしおらさん! ……借りますよ!)

 彼はダメ元で思い切って美汐良みしおら警部に乗り移ってみようと思い、体に重なった。すると美汐良みしおらの体はグゴリギリゴリオと奇怪な音を立てて、関節をおかしな方向に曲げながら、文時ふみときの霊魂を吸い込んだ。
 その状態を見ていなかった編砂《あみすな》は、音にだけ反応して顔を上げた。

「痛っつぉい! あがっ!」

 脱臼したと思われる肘を無理矢理はめ込み、文時ふみときが乗り移った警部は悶絶した。

「大丈夫ですか?」

 心配そうに見つめる彼女に、警部はへらっと笑いかけた。

「はははっ、大丈夫大丈夫。あなたの方こそ大丈夫ですかな? 顔面蒼白だ。それに瞼と目尻も腫れている」

 彼女は視線を逸らした。

「ところであなたの名前を伺っていませんでしたね」
「私は編砂あみすな澄亜すみあと申します」
編砂あみすな澄亜すみあ。ふむ。おや? 起戸見きとみ君を世話している方もそのような名前でしたな」
「え?」
「もしかして、あなたは彼に毎日ご飯を届けていたのではないですか?」
「はい……そうですが。どうしてそれを?」
「同じ国家公務員ですからな。情報だけは知っておりました。しかしお顔は拝見したことがありませんでして、いやー、申し訳ない」

 片手をさっと上げて軽く敬礼の様なことをして、頭を下げる。その手をそのまま顎へ持っていく。髭の無い地肌を撫ぜて、コンクリートの上に円を描くようにして歩き始める。

「いやはや、そうであるなら、あなたが第一発見者と言うのも頷ける、と言うか、当然のことですな。彼は政府によって軟禁をされていたわけですから、会う人間と言えばあなたしか居ないわけです。であれば、ただ第一発見者だと言う理由だけであなたを疑うのは気が早すぎましたな。それにあなたを疑ってはいけない理由はまだまだいくつもある。その辺りもアリバイなどを整理して証明していきたいので、まずは犯行時刻の特定を行います」

 警部はドアの前のコンクリから、道路に続くまでの道を指さす。そこにはいくつかの足跡があった。このアパートの周囲は未舗装で、砂利も敷き詰められていない為、雨が降ると土はぬかるんでしまう。

「昨夜の22時頃、この辺には通り雨がありました。御覧の通り、我々の足跡がくっきり残っています。ゲソ痕を調べれば、誰が何回ここを往復したかはわかりますが、そもそも我々が辿り着いた時にはあなたの足跡しかありませんでした。そうだよな?」

 警部が振り返ると、後ろでメモを準備していた警部補がこくりと頷く。

(良かったぁ、当たってた)

 警部はホッと胸を撫でおろしてから、また円を描くように歩く。顎を撫ぜて。

「しかも起戸見きとみ君の部屋を訪れる為の“行き”のものしかなかった。つまり、昨夜の通り雨より後に、アパートを出ていく人はいなかったと言うことになる。すると、犯行時刻は昨夜の雨の前に限定することができる。勿論あなたが警察に電話する直前に殺したと言うなら話は別だが、そうなるとこの乾ききった血の説明がつかない。この血は明らかに死後数時間が経っていることを証明していますからな。さて、それではお伺いします。あなたは昨日、起戸見きとみ君にご飯を渡した後、この部屋を何時頃出ましたか?」
「16時半頃です。そのあと、職場に戻り、17時30分に会社を出て帰宅しました」

 ぐるぐると歩みをとめず、答えを受けては質問を重ねていく。

「なるほど。職場から自宅までは電車を使っていますか?」
「はい」
「では、交通系ICカードを調べればあなたの言っていることが正しいかどうかの裏付けは取れますね。それで、家に戻ったのは何時頃ですか?」
「確か、19時頃だったと思います」
「では、その19時から22時までの三時間、あなたはどこに居ましたか?」
「家に居ました」
「それを証明できる人は?」
「いません。一人暮らしなので。ですからアリバイもありません」
「それが居るんですよ。あなたのアリバイを証明できる人がね」
「……え?」

 キョトンとする編砂あみすな。警部は彼女の眼差しを受け止め、ふっと笑った。

「それは……」

 歩みをぴたりととめ、ビシッと人差し指を向けた。

「あなたです! 編砂あみすなさん!」

 キョトン顔から困惑顔に変じ、編砂あみすなは顔を傾けた。構わず続ける。

「あなたは、起戸見きとみ君の恋人と仰いましたね」
「はい」
「なら、メールのやり取りくらいはしているのではないですか?」
「していました。でも、メールなんてどこででもできますし、それこそこの部屋でメールを作成して送ることもできますよ?」
「いえ。そのメールがどこの基地局を経由してきたものか、調べれば解ります。あなたのお住まいの地域の基地局と一致すれば、それはあなたが家から送ったものであることの証明になるのです。ですからあなたのアリバイを証明するのは、あなた自身と……彼氏の起戸見きとみ君なのです」

 編砂あみすなは目を見張り、口に手を当て、瞬間大きく息を吸った。

「因みに、起戸見きとみ君から最後のメールが届いたのは何時ですかな?」

 編砂あみすなは携帯端末を取り出して、メールを見る。

「21時17分とあります。因みに私はその5分後に送っています」
「あなたが1時間以内にこの部屋まで来られるかはまたあとで検証するとして、その21時17分から22時までの間に犯行時刻が絞れたことになりますな。これは犯人を特定するのに大きな手掛かりになりそうだ。あなたが、起戸見きとみ君の恋人として誠実であったおかげです」

 編砂あみすなは溜め息を吐いた。

「私が最後に送った内容を、きっと文時ふみときさんは見ていないんですよね」

 文時ふみときは霊魂になってしまったのでメールの内容は確認できていない。

「返信が無いと言う事は、そのようですな。……私が聞いてもよろしい内容でしょうか」

 彼女はコクッと一回だけ首肯したのち、震える唇で言葉を紡ぎ出した。

「最近そっけないですよね。私とのメール、つまらないですか? と」

 寂しそうに呟く彼女を見て心が締め付けられる文時ふみとき

「そんなことない! 楽しかった! 僕はただ君の時間を奪いたくなかっただけだ!」

 気付いた時にはもう、彼の心根は警部の声帯を通じて弾き出されていた。
 二人は同時に固まった。警部は口をパクパクと動かし数行分の空白を吐き出して、かぶりを振って声を前に押し出す。

「と、起戸見きとみ君なら言うでしょうなあ!」

 がっはっは! と盛大に笑い、編砂あみすなもつられて引き攣った顔で力の無い声を垂れ流して笑った。

「さて、話を戻しましょう。今度は遺体の状態です。彼の傷口をよく観察してみれば、ある程度の犯人像が割り出せます。まず傷が一か所であること。これは心臓一突きで十分な致命傷を与えられたと言うことです。人間の体は存外堅い。ナイフ一突きで心臓まで到達させる為には相当な剛力が必要になります。女性であれ、筋力があればできるかも知れませんが、あなたのように華奢な方では一突きで仕留めるのはまず不可能でしょう。仮に運よく一撃で入ったとしても、それを前提とした殺害方法でない以上、殺せた確証がありませんから、めった刺しになるはずです。それに彼の傷は、心臓よりやや上にあります。これは上から心臓を目がけて突き刺したと言うことです。つまり、彼より高身長の人間でなければこのような傷のつき方はしないのです。あなたくらいの身長の人で、しかもヒールの低いパンプスを履いていたのでは……てあれ? 今日はハイヒールなんだねえ」
「え? 今日は?」
「あ、いやいや! なんでもないよ! なんでもないんですなあ! はっはっは! 思い込みでパンプスと言ってしまいました。失礼。ですがしかし、あなたの身長ではやはりハイヒールを履いたところで彼の身長を上回ることはなさそうですな。つまりどういうことかといいますと」

 警部は人差し指をビシッと編砂あみすなに向けた。

「犯人は、あなたではない!」

 そしてその人差し指を顔の前に戻し、立てた状態で鼻の頭をトンと叩いた。

「そして犯人は、この中には居ない!」

 警部は隣の警部補に向き直る。
 文時ふみとき美汐良みしおらの体を通じて警部補に、このアパートの中に他にも被害者が居るかも知れないと言う考察を伝えた。また今し方編砂あみすなから得た情報を基に警部が推理したていで、犯人の概ねの住所を特定し、他の警察を動かし、彼が目を付けた地域で職質をかけるよう命令を下した。

「それでは署までご同行願います。あなたの無実を確実に証明するためにね」

#創作大賞2023

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