「増える増える、増える妹」本編
これで87人目の妹を殺した。
首に突き立てたナイフを引き抜くと、妹——ネイロの破れた頸動脈からびゅぅうっ! びゅぅうっ! と血飛沫が噴き出した。
それを見て驚愕に顔を歪ませた88人目のネイロ。ジャリッと地面を鳴らして一歩後退。
私がナイフを逆手に持ち帰るとネイロは踵を返して走り出した。逃がさない。
——ヒュンッ。
投擲したナイフは、狙い過たず。正確に首の根元を穿ち、鮮血が夕暮れの街並みをさらに赤く染め上げた。空には雲一つないと言うのに、私の髪は手は唇は、しとしとと濡れて行った。
あと12人。ネイロを助けるために、ネイロを殺さなければいけない。私と同じ顔をした、双子の妹。そのまがいものたちを。
※ ※ ※ ※
私とネイロは生まれたときから瓜二つで、それは高校生になっても変わらなかった。髪の結び方を逆にしたり服の色を変えたりしなければ、親でさえ判別がつかないほどに似ていた。
だと言うのに、風邪を引くのはいつもネイロだった。ネイロは生まれつき病弱だった。反面私は物凄く元気で、寒い日も暑い日もいつも平気へっちゃらだった。まるで私が罹るべき病をすべてネイロが引き受けてくれているかのようで、申し訳なかった。お母さんのお腹の中で、本当は二人で分けるはずの栄養を私が全部吸い取ってしまって、そのせいでネイロが病弱になってしまったんじゃあないかって。だからネイロには恨まれているんじゃあないかって思った。
「カナデちゃんが病弱じゃあなくて良かったよ」
妹はやさしかった。
「二人で一緒に病気になったら、大変だもんね」
こんなにやさしい妹に恵まれて、私はなんて幸せなんだろうと思った。そうだ。ネイロが動けないときに、代わりに私がいろいろしてあげればいいんだ。
彼女が寝込んでいるときは、私が家事を二倍頑張った。学校へ行けないときは習った内容を家に帰って教えた。精神的に弱っているときは弱音をたくさん聞いた。寝付けないときは寝るまで背中を撫ぜてキスをした。
「うつっちゃうよ」
そう言って眉を困らせるネイロを、私は抱きしめた。愛おしかった。
頑張った分だけ、贖罪が出来ているように思えた。ネイロは「カナデちゃんのせいじゃないよ」と言ってくれたけれど、心の根っこの方ではまったく納得出来なかった。だから、ネイロのために尽くせるだけ尽くそうと胸に誓い、やれるだけのことをやって来た。
だと言うのに、神様はなんて薄情なのだろう。ネイロは『増える病』と言う奇病に罹ってしまった。
罹患したらまず増える。増えて増えて増え続ける。そして増えるほどに患者の生命力が蝕まれていく。助けるためには、患者と瓜二つの増え続けるダミーを殺し尽くすこと。
これは病気を治すための行為なので、殺人罪には問われないと言われた。要は、ウィルスを退治しているのと変わらないからなのだとか。さながら私は白血球。ネイロの体の外側で働く戦士。
そうだ。ネイロは奇病に罹って意識を失ってしまっているけれど、やることは変わらない。家事をしたように、勉強を教えたように、弱音を聞いたように、背中を撫ぜたように、キスをしたように、殺し尽くすだけだ。ネイロが意識を取り戻して、また笑ってくれるために。
※ ※ ※ ※
「おね——」
98人目の妹を殺した。あともう少し。
なんとなく100人を目指して殺しているわけじゃあない。私にはわかった。彼女らウィルスが居る場所と人数が。
私は昔からネイロのことがなんでもわかった。遠足中にはぐれて迷子になってしまっても居場所を探り当てることが出来たし、ネイロがどこかで転んでケガをすると私の膝が痛んだりした。自分はケガなどしていないのに。だから風邪を引いたときも、ネイロが平気なフリをしてもすぐに見抜いた。これが双子だからなのか、愛しているからなのかはわからない。
今増えているネイロも、ウィルスだけどネイロ。ネイロの位置ならすぐにわかる。だから私は次々殺す。
これに対して他の誰もが関与しないのは、誤って私を殺してしまう可能性があるから。親でも見抜けない二人なのだから仕方ない。それに、その方が私にとっても都合が良かった。私が妹を守ると決めているから。どんなときでも。
※ ※ ※ ※
100人目の妹は、逃げ疲れたのか膝をガクガクと震わせていた。私の方も満身創痍だ。
「カナデちゃん」
ネイロと変わらない声が放たれる。
ああ。くそ。いつもは声を上げる前に咽喉を掻っ切るのに。油断した。
ここまでずっと殺し続けて来たけれど、これで100人目だけれど、まったく慣れるなんてことはなかった。顔だって同じなのだ。愛しい愛しい妹のそれなのだ。胸がギュウと握り潰される。呼吸も止まっているのか動いているのかわからない。
「本当のこと言うと私、カナデちゃんを恨んでたの。羨ましかった。みんなと遊んで良いなって思ってた。私ばっかりどうしてって思ってた」
「うるさい!」
本当のネイロはそんなこと言わない!
私はナイフを突き出し、あばらの奥に刺し込んだ。やわらかい肉は抵抗することもなく刃を受け入れる。ぷつぷつぷつと肺の中の管が千切れる感触が、手の内側に響いた。
口から吐き出された血が私の顔に降り掛かる。妹をイジメ続けたウィルスの血だ。忌々しい。反吐が出る。
ナイフを引き抜き、翻し、首元へ走らせる。ネイロは膝を折り、私の服を掴んだ。焦点が合わなくなった目で、彼女は私の向こうの空を見つめていた。血に濡れた掌がべったりと私の頬を撫ぜて、それからずるりと落ちた。
これで100人目。なにはともあれ、ネイロは助かる。帰ろう。病院へ。
※ ※ ※ ※
橙色が染み入るロビーを抜けて、ネイロが居る病室へ向かう。彼女はまだベッドに寝ていた。
「ネイロ」
私が呼びかけると、彼女は唸り声をあげて身を捩って、それから瞼を開いた。
「あれ? おはよう」
「おはよう。もう夕方だけどね」
ネイロは上体を起こして、それからしばらく私をぼうっと見つめた。まだ意識がはっきりしてないのだろう。
「ああ、そっか。ありがとう、お姉ちゃん。ごめんね」
申し訳なさそうに微笑む彼女の頭に手を載せて、艶やかな髪を撫ぜた。
「いいのよ。だって私はネイロのお姉ちゃ、ん……だ、もの」
「どうしたの?」
え。なに。いや。ちょっと待って。待って。
「ネイロ、あなた今、私のことなんて?」
「お姉ちゃんのこと? 私なんか言った?」
総毛立つ。
うしろに倒れるようにして、足をもつれさせながらも距離を取った。
「どうしたの?」
呼吸が整わない。動悸がする。胃液がせり上がってくる。
「ネイロは、私のことをカナデちゃんと言うわ」
見開かれたままになった目で、ネイロを睨みつける。
「あー、そうなんだ。ふーん。気付いちゃった?」
「どういうことなの!? 私は増えたネイロを殺し続けたわ! なんでウィルスの方が残ってるのよ!」
「さーて、どうしてでしょう」
ネイロは明るく言い放つと、ベッドから降りた。
「ねえ、考えても見て? どうしてここに居る私が本物のネイロだと確信していたの?」
「え。だって、増え続けて。奇病で。全員殺さなくちゃで」
「増えた瞬間を見たわけでもないのに?」
そうだ。増え始めてから病名を知ったのだ。殺さなければいけないことも。意識を失った方が本物のネイロだと勝手に思い込んでいただけだ。
「私たちが宿主から分離するとき、宿主の生命力を蝕むけれど、同時に開放感も与えるの。とってもハッピーな状態になるの。今まで病気ばかりでまともに走ったことすらなかったんでしょう? 軽くなった体は、さぞ心地よかったと思うわ。あなたに殺されるその瞬間まで、最高にハッピーだったでしょうね」
そんな。嘘だ。まさか。でも、ネイロがこんなことを言うはずもない。じゃあ、じゃあ、じゃあ……! 私が殺したあの100人目が本物のネイロ……?
「うぁあああ! うぁああああああ! うぁああああああああ!」
本当は恨まれてたんだ、私。ネイロに我慢させてた。ずっと、ずっと、ずっと。贖罪だとか偉そうに言って、なに一つ贖えていなかった。そのうえ勝手に決めつけて、ネイロを殺した。本当のネイロはそんなこと言わないなんて言って。それは願望だ。私の、勝手な、わがまま! わがまま! わがまま! そんな浅ましくて卑劣な自己肯定! だからだからだからだからだから、気付けなかった!
「そんなに取り乱さないで。いいじゃない。邪魔な妹が死んで」
「邪魔なんかじゃない!」
「そう? でもあなたずっと辛い思いをしていたんじゃあない? 病弱で、お母さんからもお父さんからも愛情を独り占めするあの子が、忌々しかったんじゃあない? 反吐が出るって思ったんじゃあない?」
「そんなことは——」
違う。あの100人目のネイロに抱いた感情は、ウィルスだったからだ。ネイロ本人に対しては……。
「ない」
ないのだろうか。本当に。私は、本当はもっと醜い人間で。だから妬みも嫉みもあったはずで。ネイロが本音を言わなかったように、ずっと自分自身に隠していた思いがあったのでは。
「ああ、可哀想なお姉ちゃん。そんなに泣かないで。ほら、これを見て?」
そう言って彼女はサイドテーブルに置いてあった鏡を持って来て、私を映した。そこにはあの、愛しい愛しいネイロの顔がある。頬にぺったりとした血を付けた、涙に濡れた、あの。
「もしかしたら殺されたのはカナデちゃんかも知れないわ。だってそうでしょう? 二人は瓜二つ。親でさえ見分けがつかない」
え? え? そんなことは……ああ、うん。ああ、ああ。そうかも。そうかも知れない。いや、そうだったらいいな。そうだったら凄く幸せだ。だって要らないのはカナデだ。あんな醜悪な心で、病弱な妹に嫉妬するような姉は。ネイロはとても美しくて、健気で、やさしくて……ずっとカナデのことを恨んでいたのに、億尾にも出さないで来たんだ。そうだ。生きるべき人はネイロだ。カナデなんかじゃあない。
「ねえ、もしかしたら初めからカナデちゃんなんていなかったのかも知れないわ」
「どういうこと?」
「この奇病。『増える病』は、いつから罹っていたのかしら?」
「いつからって、それは、一か月前、この病院で病名を宣告されたときに」
「そのときに初めて気が付いたってだけの話でしょう?」
あ、そうか。そうだ。いつから罹っていたかはわからない。
「お母さんのお腹の中で、もう罹っていたのかも知れないわ」
そう、なのかな。
「だとしたら初めからネイロだけだったのよ。それをみんなわからないものだから双子が生まれたんだと勘違いしたの。ねえ、きっとそうだわ。名推理だと思わない?」
「ああ、……うん」
そうだとしたら、嬉しいな。だって私が妹の分まで養分を取っていたわけじゃあないってことだし、それにそうするとネイロは生きているってことだし。ネイロが私なら、私が奇病に罹っていただけなんだし。あれ? でも待って? ネイロとして生きてきたのは私じゃあなくて。あれ? 私は誰だっけ? もしかして私がウィルスの方だったのかな。
「ねえ、私ずっとカナデちゃんって言っているわ。だったら私はネイロよね?」
そうかも知れない。いや、きっとそうだ。ネイロは死んでない。
「ねえ、思い出して? 『増える病』はどうやったら治るんだった?」
「それは……」
殺し尽くすこと。
殺し尽くせばネイロが助かる。
なら、私がすべきことは……。
私がウィルスなのだとしたら、私が死ねばネイロは助かる。目の前のネイロを殺したらどうなるだろう。私が残るのか。或いは消え去るのか。いずれにせよ、カナデは要らない。
私がカナデなのかネイロなのかそれともただのウィルスなのかはわからない。だから、だけど、だから、それでも。
懐を探る。掌で握る。躍り出た銀色。それを翻した。
天井まで届いた飛沫は、夕景をことさら赤く染めた。