Tシャツ作りをやってみて
オリジナルTシャツを作れるサイト
最近、SUZURIというサイトでTシャツを作ってみたりしています。
Twitterでは画像を放流しているのでフォロワーさんはご存じかと思います。
作るとは言っても、私は絵を描いて大きさやどこに画像を貼るかを考えているだけなので、実際にプリントしたり発送してくれたりするのは、運営会社のSUZURIさんなんですけれども。
さて、今回はこのTシャツづくりを通して、新たなる発見があったのでそれをご紹介していきたいと思います。
発見その1「あれ? 描けるぞ?」
いや、描けるぞって、お前なにを言ってるんだ。下手くそのくせに。とは、思っても言っちゃだめですよ(笑)
下手くそなのは百も承知なんですが、今までは自分の絵の下手さにアウトプット自体を拒んでいたのですが、「Tシャツを作る!」という目的を設定した途端に、「書くぞー!」という気になったわけです。不思議ですね。でも明確な目標って重要なんですね。
で、結論から言いますと、やっぱり絵は下手でした。ズコーッ(80年代の擬音)
しかしながら、頭の中のイメージをグラフィックに起こすことはできると言うことがわかりました。
以下、Tシャツに使った絵を投下していきます。
初心者にしては頑張った!
で、思ったのは、人に絵として見せるための絵と、ファッションアイテムにするために起こすグラフィックは、なにもかも違うんだなってこと。
絵画は、絵画単体で価値を見出せなければ意味がありません。額に入れて飾って眺めるのを前提にしています。
しかしファッションとしてのグラフィックは、絵として完成してない方がいいのです。だって、絵として完成していたら、身に着ける人間自体が必要ないじゃないですか。
だからちょっと抜けてる方がいいんです。絵として足りてないくらいが。
ファッションアイテムは、自分ありきです。だから、「このTシャツを着ている人はどんな感性の持ち主なんだろう?」と思われるくらいの方が、ファッションアイテムとしては成功しています。Tシャツではなくて、着ている本人に目が行っているわけですからね。
だから、絵画は無理だけれど、グラフィックに起こすことはできるぞ! と思ったわけです。
発見その2「読みたいから書く人の気持ちがわかった」
今まで私は、小説を「書きたいから書く」という気持ちでやってきました。ですから「読みたいから書く」という人の気持ちはわかりませんでした。これは別にどっちが正しいというわけではなくて、自分にはそう言う感覚がなかったのです。
しかしながら今回のTシャツ作りは、完全に「着たいからデザインする」なわけです。もう最初から売るつもりなんてございません。ただただ自分が着たいものをグラフィックに起こして投稿の連続です。投稿するとTシャツとしての完成図がサイトに上がるわけですが、それがもう楽しくて仕方ありません。
これほしい! 絶対買う!
需要自分、供給自分! 最強!
と、ここで「読みたいから書く」人の気持ちがすごーくよーくわかったんですね。
「こういう物語を読みたい! でもない! なら自分で書こう! 需要自分、供給自分! 最強!」
と、まさにこういうことなんじゃあねえかと。
Tシャツ作りを通して、まさか今までわからなかった気持ちに気付くことができるとは思いませんでした。
発見その3「怖いものがなかったあのときの感覚」
私は今、小説を書くとき、かなりがんじがらめの状態で書いてます。
全体の10%以内にセットアップは終わらせる。セントラルクエスチョンもその間に出す。テーマの提示は最初と中盤と最後に出す。ミッドポイントは50Pの前後にもってくるようにする。テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼをしっかり描く。状況を説明するのではなく描写する。教訓がなくては作品を形にする意味がない……などなどなどなど。
正直申しますと、今までたくさんの作品を書いてきて、皆さんに評価を頂けて、かつカクコンでも受賞したこともあって、とても保守的な考えが自分の心を支配し始めておりました。それは、
「つまらないと思われるような作品はもう書けない」
です。
もう、この考え方がつまらないですよ。一番面白くない。他人の評価なんて考えなしに、書きたいものを書く。それが一番大事なはずなのに。
救いなのは、それによって作品が面白くなっていることです(唐突な自画自賛)
この、常に面白いものを書きたいと言う欲望は、寧ろないとダメです。でないと成長しない。
けれど、「あれをしなきゃダメ」「これをしなきゃダメ」と言って自分のやり方を縛るのはよくない。
そうじゃなくて「あれをやりたい」「これをやりたい」と言って前向きに挑戦していく姿勢でなければ。その結果面白くなるならいい。
『あれをしなきゃこれもしなきゃ』⇒つまらなくない作品
『あれをしたいこれもしたい』⇒おもしろい作品
と、こんな感じになると思うんです。つまらなくない作品じゃあなくて、面白い作品を書かなきゃいけな——いや、書きたい。
閑話休題。
Tシャツ作りを始めたときに感じたのは「あれもしたい、これもしたい、もっとしたい、もっともっとしたい」でした。ブルーハーツですね。
これは多分、小説を書き始めたときの感覚と同じなんだと思います。創作における、技法・技術を知らないから、むやみやたらと書きたいようにエタるのも構わないで次々書いていたあのとき。自分のためだけに書いていたあのとき。
怖いものなんてなかった。
他人の評価なんて気にしてなかった(そもそも見せてなかった)。
世界で一番ツヨツヨの小説家は自分だった。
あのとき放課後の教室に置き忘れた、「書きたい」という純粋な感情が、今、時を経て、Tシャツのプリントから滲み出てきたのです。
はっ?
そうして創作へと向かう
最終的にはなにを経験しても小説に繋がります。小説のいいところは、この一瞬のTシャツ作りに燃やした情熱が、決して無駄にはならないことです。
Tシャツ作りを通して学んだことや、グラフィックでの気付きなどは、必ず小説に活きます。
このTシャツ作りは新たなる小説——いわば、ブレイクスルーへの布石になる! はず! 多分! きっと!