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『引きこもり探偵』第九話 通じ合って、秋

 事件が解決へと向かう間に、第一発見者であった編砂あみすなを重要参考人として警察署へ招いた。勿論目的は彼女の無実を証明することだった。重要参考人と言うのは、あくまでもていだ。

 警部は編砂あみすなから交通系ICカードと携帯端末を受け取り、専門部署に預けた。彼女の言っていることの整合性が取れれば、晴れて容疑者から外れる。
 そんな調書に書く為の、形だけの取り調べを小一時間していると、他の警官から容疑者が捕まったとの情報が入った。

「良かった。もっともあなたがシロであることは明確でしたが。しかし、どうしてあなたはあんな嘘を? 私としては、自白を迫ったつもりはなかったんですが、もしもあのまま捕まえてしまっていたら、自白を強要して冤罪を作り上げることになってしまうところでしたよ。そもそも最初から恋人なんて言わず、日本政府の命令でご飯を届けに来ただけだと言ってくだされば、疑うこともしなかったのに」
「すみません。でも、恋人であるという事実を否定したくなかったんです」
「そのことですが、起戸見きとみ君に気を遣っているんじゃあないですか? どうしてあなたのような人が、引きこもりの彼と? 言い方は悪いかも知れませんが、彼と付き合ってもデートもできませんよ?」

 問いかけに、彼女は困ったように掠れた笑顔を作る。

「そうですね。最初、ご飯を届けだした頃は確かにそんな関係ではなかったです。正直、面倒な仕事を任されてしまったと思っていました」
「そうでしょうねえ」

 警部はふうっと息を吐く。
 その息が机の埃を転がすのを見終わってから、彼女は滔々と語りだした。

「でも、文時ふみときさんと会話を重ねるたびに、どうして彼はこんな目に遭わなければいけないのだろうと疑問を抱くようになりました。彼自身は普通の男性です。何か悪いことをしているわけではないのに、持って生まれた性質なのか名探偵になってしまったからできた性質なのかはわかりませんが、それのせいで煙たがられて、軟禁されて……。実際彼が軟禁されてから事件は起きなくなりました。でもそれは同時に、その日も地球が平和なのは、文時ふみときさんが自由を奪われているからなんだということになります。これでは人柱です。天秤に掛けて掲げられた方が犠牲になる。こんなのおかしい。そう思ったら今度は、私に何かしてあげられることはないだろうか。そういう思いが芽生えてきました。そんな折、彼から恋仲にならないかと言われました。その告白は、ただひたすらに私の身を案じてのことでした。日本政府の空論が正しいのなら、彼と会う機会の多い私が一番殺人事件に遭遇する確率が高い。でも恋人なら殺されないだろうって。警部さんは馬鹿馬鹿しいと思うかも知れませんが、私たちにとってそれは真実でした。正直、その時文時ふみときさんが私のことをどう思っていたのかは分かりません。今でも分かりません。ですが、私は文時ふみときさんを自由にしてあげたいと考えていて、彼は私の命を守りたいと考えていた。これだけでもう十分だとも思いました。お互いがお互いのことを思い合う。この心の交わりさえあれば、一点の曇りなく彼のことを愛せると思いました」

 真剣な瞳は斜陽に輝きを増した。

「きっと彼は鈍感だから、そこまであなたが思っていてくれていたなんて、思いもよらなかったでしょうな。ですが、確実にあなたの真心は何らかの形で彼に届き、心に安らぎを与えていたでしょう。長い軟禁生活の中、あなたは一筋の光であったに違いありません。ですからあなたにはとても感謝していたと思いますよ」
「そう、だといいですね」
「だから、殺したのは私だとか、そんなことを言ってはいけませんよ」

 彼女は俯き、拳を握って太腿を抑えつけるように身を縮こまらせた。

「でも事実、私が文時ふみときさんを殺したようなものです」
「どうしてそう思うのですか」
「死んでいた彼の手には、チョコバットの当たり付きの包装紙が握られていました。コンビニに交換してもらいに行こうと思って扉を開けたんだと思います。私が一緒に行っていれば、あんなことにはならなかった」
「だが、彼が外に出ると殺人事件が起きる。日本政府ではそういう考えだったのでしょう? 同行したからと言って外出が許されるわけではないのだから、あなたの行動は正しいはずだ」
「でもその正しさを受け入れたら、それはつまり、他者の幸せを守る為なら文時ふみときさんの人生を殺しても構わないという考えを肯定する、と言うことになるんです」
「仕方のないことだと思いますがね。彼も諦めていたのでは?」
「ええ、彼は仕方のないことだと諦めているようでした。でも、だからこそ私が諦めてはいけなかったんです。たとえ事件が起きたとしても、彼を自由にすることだけを考えていなければいけなかった。それなのに、彼が死ぬまでそんな簡単な答えに辿り着けなかった」

 項垂れたままの彼女に、文時ふみときはゆっくりと息を吐いて、笑いかけた。

「でも今辿り着いた」

 彼女は虚脱した瞳を文時ふみときに向ける。

「君がその一つの真実に辿り着いてくれて良かった」

 彼女の目にゆっくりと光が灯る。

「危うく迷宮入りするところだったよ。……と、彼なら言うでしょうなあ」

 編砂あみすなの瞳は涙を湛えている。その上を夕陽が躍って落下した。

「先も言いましたが、彼とはいくつもの事件を解いた仲です。人となりは知っているつもりです。彼がもし私に伝言を頼むならこうです。君には幸せになって欲しい。だから僕のことなんて忘れて、自由を謳歌して自分の人生を生きて欲しい。そうだ。今度、気になる男子を連れて昭和記念公園に行くと良い。秋桜祭りがやっているよ。と」

 編砂あみすなが一緒に行こうと言った秋桜祭り。その言葉を聞いて、ますます涙が溢れ、はらはらと落ち行く。濡れた鼻をすすり、ゆっくりと首を振った。

「嫌です。忘れられません」

 それから編砂あみすなは、純心を灯した瞳を文時ふみときに向けた。まるで美汐良みしおらではなく自分自身を射抜くような眼差しに、思わず唾を飲み込んだ。

「でも、貴方のことを忘れなくても幸せになれる様、頑張ってみます。そうじゃないと文時ふみときさん、いつまでも私のことを心配して、成仏できなさそうですから」

 泣き腫らした顔の上に、秋桜を咲かせる彼女の視線を受け止め、文時ふみときもつられてへらっと笑う。穏やかに笑い合う二人を囲んだ部屋。その窓の向こう。凪の夕映えに一陣の風が吹き、枯れかけの雑草がさらさらと涼し気に踊った。
 彼女が送れなかった写真。芒。花言葉は確か、『心が通じる』。

#創作大賞2023

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