『引きこもり探偵』第七話 堰を切って、秋
——ガチャッ。
扉を開けた瞬間、編砂はビクッと身を引きつらせた。
「ふ、みとき、さん……?」
そう、声に出すのがやっとだった。
文時は仰向けに倒れ、胸からおびただしい量の血を流して死んでいた。服と畳に染み込んだ血はもう乾いており、死後数時間以上経っていることが明らかであった。
編砂は乱れる呼吸を落ち着かせるより、緊急事態を知らせることを優先した。彼女がまず呼んだのは救急車だ。そのあとで警察にも電話をかける。
彼女はこんな時ですら靴を脱いで部屋に入った。アーガイルチェックの、ワインレッドのストッキングがトンと畳の上に降りる。気が動転している為、寧ろ普段通りの行動を取ってしまうのだろう。
文時の体の横で膝立ちになって顔を覗き込む。それから胸が上下に揺れていないことを確認して、呼び掛ける。
「文時さん! 文時さん!」
返事はない。脈を診ようと手首を持った時、あまりに冷たい体に目を見開いた。それでも諦めきれず、律儀に脈がない事を確認する。
「し、心臓マッサージ……! あ、ああ、でも」
心臓には恐らく大きな穴が空いている。彼の血は胸の中心から流れ出ていたようだから。
自分にできることがもう何もない事を知り、項垂れる。そのまま腰が砕けたようにへたり込む。乾いた血の上を指が滑った。
(なんだか、悪いことをしてしまったなあ)
死体を隔てて対岸に、文時は彼女と同じく座っていた。胡坐をかいて。
(でも、これで彼女も解き放たれる。僕の面倒を見なくて済むようになる。良かった)
知人が死ねば、相当のショックを受ける。だが、本当の恋人が死んだわけではないのだ。一時的に落ち込んでも、すぐに立ち直ってくれるはずだ。彼にとって、それは救いだった。
だがそんな彼の意に反するように、彼女の肩はプルプルと震えている。俯いた彼女の視線が彼の手に到達し、持っていたアタリ付きのお菓子の袋を見つける。
「……文時さん! 文時さぁああん!! うぁあああああああああああああああ!」
堰を切ったように溢れ出す大声に、霊魂の彼はひっくり返った。
編砂は眼鏡の奥から溢れ出る涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、亡骸の手をぎゅっと握りしめた。袋がクシャッと音を立てる。
「文時さん! もうすぐ救急車が来ますからね! そしたら助かりますからね! 病院に行って、文時さんが外に出ても大丈夫だって政府が解ったらもう安心ですよ! コンビニに行ってチョコバットを交換して貰いましょう? ジュースとおやつを買って、一緒にどこにでも行きましょう? 文時さんはどこに行きたいですか? 今はほら、昭和記念公園で秋桜祭りがやっているんですよ。お花、嫌いでなければご一緒したいです。私、今まで彼氏なんてできたことなくて、嬉しくて浮かれちゃうと思うんです。そしたら恥ずかしいよって、止めてくださいね。あ、でも友達と出会っちゃったら、自慢しちゃうかも知れません。私の彼氏は名探偵なんだよって。それは、彼女の特権だと思うんです。それくらいは良いですよね? だから、ねえ、行きましょうよ。秋桜祭り……」
(ごめん)
文時は目頭を押さえて呟いた。
編砂はゴホゴホと咳き込み、鼻をすすり言葉を続ける。
「もし仮に病院でたくさん殺人事件が起きても、構いません。私、貴方を連れてどこにでも行きますからね。貴方が帰るって言っても、政府に付け狙われても、知りませんそんなこと! きっとこんなことを言ったら文時さんは怒るんでしょうけれど、事件なんて起きればいいんです! 文時さんが自由になれるなら! ようやく自分のことが、気持ちが解ったんです。私がどうしたいのか。文時さんにどうしてあげたいのか。だから行きましょう? 生きましょうよぉ……」
遠く、乾いた風に乗って、サイレンの音が聞こえた。同時にカサカサと葉が重なる音がドアをすり抜けて文時の耳に届いて、彼は彼女が送りたがっていた写真のことを思い出した。穂をほわっと膨らませて頭を垂らした芒が風に揺れる。その情景を思い浮かべ、彼はただ、涼しそうだなと思った。