選んだっていいじゃない!
認知行動療法の一種(発展形)、ACTでは、
「価値」という視点を用います。
ここでの「価値」とは、私たちが人生を進むにあたって、
「頑張る気持ちを引き出す根底にあるもの、
大切にしたいもの」
といった意味になると思います。
私にとっての価値は、「選べること」です。
これは、前回紹介した、
「自分次第」という意味と重なります。
その時は、〇〇次第から自分次第に移す営みを、
「綱引き」に例えました。
同じ営みのことを、私自身は以前から、
「自分が選べる領域を増やす」
と表現しています。
というのは(書いた自分が言うのもナンですが)
綱引きには、「直接悩みの対象と向き合う」
イメージがあります。
でも、悩みを軽くする方法としては、
「悩みの対象を、相手にしない」
「他のことにエネルギーを使う」
のもアリです。
それで私としては、
「自分で自分のことを選べる領域を増やしたい」
の方がしっくりきます。
自分に向けた励ましの言葉、行動原理になっています。
文字にしてみると、なんかガメツイ感じです。
が、成功して思い通りにお金や人を動かせる、
みたいな、大それたものではありません。
そもそも、すべてのことが、
自分で選べるワケではないですし。
人間関係、仕事、健康・・・。
自分の意志や選択によって、
確実な結果を保証できることなど、
ごくわずかです。
その中で、自分に関係することくらいは、
ほんの少しずつでも、自分の意志を関与させたり
反映させられる権利を持てるようになりたい。
そんな感覚です。
いやいや、
「自分に関わることを決めるのに、自分が関われる権利がある」
そんなの、当たり前のこと。
これは誰でも同じです。
(ただし、自分や他の人を傷つける可能性がある選択は別です)
ですが、人間関係や心身のコンディションなどが絡むと、
「私のことを、私が決められない」
「口をはさむ権利もなければ、その能力もない」
という感覚が染みついてしまうことがあります。
実際、私自身、それなりに長い時間を、
そんな状態で過ごしました。
だから、ただ「選べる、選べた」と思えるだけで、
ありがたい気持ちになります。
頑張る気持ちが出てきます。
以前、私がひどく落ち込んだ時のことを書きました。
あの日、長年取り組んだことがうまくできず、
本当に虚しくなりました。
でも、そんな結果だったけれど、
そこまでの道のりや、取り組んだ内容は、
「私が選ぶことができた」のです。
選ぶことができた自分、選ぶ権利を持つ自分を思い出したら、
「自分で自分の考え方を選べる」
ということにも、思いが至りました。
失敗、失望、という評価を選ぶこともできるし、
今日のことは次につながる、という評価を選ぶこともできる。
どちらを採用しても、
「私が私のことを選べる」というところは変わらないし、
揺るがない。
それが嬉しくて、元気が出てきたのです。
みなさんを支え、
元気や勇気を引き出す価値は、何ですか?
何を価値に選んでも良いことが分かったら、
何にしますか?
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