とりあえず一回「不透明な会話」を観ろ
いきなり口調の荒いタイトルですけども。
私は元々芸人には詳しくありませんでしたが、ここ最近ハマってみております。
よく見る芸人はジャルジャル、ラバーガール、そしてラーメンズ。芸人好きな友人にはもうちょっとメジャーな芸人から観ろと言われましたが、そもそも何がメジャーかも分からない私は「詳しくないからこその入り方もあって良いんじゃないか」と思いその要求は受け流しています。というかジャルジャルとかメジャーな方じゃないのか?
とりあえずここで話したいのはタイトルからも分かる様に、ラーメンズのことです。
1. ラーメンズとは
2. 開会式,そして小林賢太郎に対する世論
3. コント「不透明な会話」
4. イライラの理由
1. ラーメンズとは
ラーメンズは、小林賢太郎と片桐仁が組んでいたコンビ。小道具をほとんど使わずシンプルな舞台や服装、独特の言葉遣いや言い回し、コントというより舞台作品を見ている様な気分にさせる異彩を放つコンビです。
ある程度の一般常識や教養がなければ理解できないネタも多く、好き嫌いは分かれます。あとファンは正直捻くれ者が多いです。これ以上言うと誰かの反感を買いそうなのでやめておきます。
小林賢太郎は現在パフォーマーを引退し、脚本や演出など裏方に徹しているためラーメンズ自体の活動はありません。本人は森に住み、無理に社会や人間と関わる生活を捨て生きている様です。(私個人としてはそもそもなぜオリンピックに関わろうと思ったのか自体疑問を感じるほどの個人主義だと思う)
一方片桐仁は俳優として評価され、近年ドラマや映画の出演が増えています。ほかにも、息子たちとYoutubeチャンネルを開設したり、今年のキングオブコントには青木さやかとコンビを組み出演したりマルチに活動しています。
2. 開会式,そして小林賢太郎に対する世論
小林賢太郎、そしてラーメンズは昨今かのオリンピック開会式うんぬんで注目を集めて(しまって)います。最近は、小林賢太郎と検索するとまあその件についてわんさか出てきます。私がみた限りでは、世間は以下の3つに大きく分かれているように感じます。
①おそらくコント自体を見たことがなく、概要もしくは報道のみを見て批判している派
②コントの内容を理解していない!小林賢太郎は素晴らしい人だ!と擁護している派
③コント内のネタとはいえたしかに問題であるため解任は妥当、ただ件の解任者と同等に扱わないでほしいor小林賢太郎の誤解を解きたい派
かくいう私は③に属します。ここで言っておきたいのは、私はこの件について深掘りしたいわけではありません。ただ、この記事がヒットしたそこのあなたはラーメンズ,小林賢太郎,あるいはオリンピック開会式のどれかに興味を持っているということではないでしょうか。私はあなたが上記のどれに属していても、それぞれにどんな印象を抱いていても自由だと思いますしそれが個人の権利だと思います。
私はただ1つ、このコントを一度見て、考えて欲しいというだけです。
3. コント「不透明な会話」
これは話題となった無断転載とは異なり、ラーメンズが公式でYoutubeにあげているものですので「無断転載撲滅!再生する人も同罪!」という考えの方も安心してご覧ください。
このコントは、タイトルの通り不透明な会話を延々と繰り広げる内容です。段々こんがらがってきてイライラする人もいるかと思います、本人たちもちょいちょいイライラしているので一緒にイライラしながら見ましょう。
ただ、このイライラ、個人的にではありますが私には「小林賢太郎解任問題に感じるイライラ」と同じ括りではないかと感じました。それはなぜか。
4. イライラの理由
このコントのイライラは「言葉がややこしく伝えたいことの本質が見えなくなっていく」ことにあると思います。
冒頭、赤信号と青信号の意味が逆転しうることを説明するシーン。ここの本質は以下のセリフです。
赤だから止まるんじゃない、赤の時は危ないから止まるなんだ。
青だから進むじゃない、青でも危ないなら進んじゃダメなんだ。
路上駐車をしないのは、駐禁のマークがあるからじゃない。迷惑だからだ。
酒飲んだら運転しないのは、検問をやってるからじゃない。危ないからだ。
そして、こう言葉が続きます。
ルールを守るということは、その言葉の表面にだけ従うという意味ではない。大事なことは、そのルールが持っている意味を理解するということなんですよ!
動画では、この台詞に対し笑いが起きます。客は「当たり前なことを演説もしくは表明のように語っている」から笑っているのです。
だが、小林のこれらの言葉に対し片桐は以下のように返答します。
つまり、赤は進め、青は止まれってことだったんだね!
「本質が何も伝わってない!そのまま受け取ったら事故に遭うよ!!危ない危ない!」
そう思うでしょう。なんで伝わらないんだ、と笑いとイライラが込み上げてくるでしょう。「最初の部分しか理解しておらず、本質が何も伝わっていないことに対するイライラ」、これが今回の報道のイライラと同様であると思うのです。このコントの興味深いところは「言葉の表面(赤は進め、青は止まれ)ではなく、本質を理解する(危ないから止まる/進む)ことが大事」という本質を理解してもらえない、という二重のメッセージです。
5. 私なりの考え
例えば殺人事件を解決するミステリー作品なら、「殺人」という現象が起きたうえで物語が進む。魔法使いの世界なら、「魔法が使える」ということを前提として登場人物及び読者は受け入れる。
コント「できるかな」も「ホロコーストは絶対にあってはならないこと」という前提が演者、観客に受け入れられた上で成り立つブラックジョークでした。ただ、ホロコーストという前提だけに注目して批判されてしまいました。確かに魔法を前提とするのと同等ではないかもしれません。ホロコーストは現実に起こったことで当事者がいるからです。だから批判されたことも解任されたことも、個人的にな考えとしては理不尽だとは思わないのです。
では殺人はどうでしょうか。作品上であっても実際に登場人物が殺され、命を落とすという現象が起こっていることに対し批判する人はいるでしょうか。私の知る限りでは聞いたことがありません。殺人は現実に起こり、当事者がいるにもかかわらず。
映画や小説、漫画、アニメ、舞台やコント。コンテンツとして、エンターテイメントとして展開されるこれらには常に「モラル」や「倫理観」というものがつきまといます。それと同時に、ホラーは恐怖というマイナスの感情を与えなければならない。残虐性をテーマにした作品なら、怒りや嫌悪感、絶望を与えなければならない。このバランスは非常に難しい、人それぞれ受け取り方も感じ方も千差万別だからです。これらを提供することを生業とする人たちはいつ批判にさらされるかという自覚、覚悟があるだろうと思います。
小林賢太郎がすぐに謝罪、そして自分の考えを表明したのも、その覚悟と常に共に歩みながらエンターテイメントを提供してきたからでしょう。
1人が声を上げたところで「本質」を社会に広げるのは難しいです。影響力のある方の着眼点、考えがそのまま広がっていくことが圧倒的に多いです。特に自分で情報を取捨選択できる現代では、自分と似通った考えの人と集まりやすく、他人の意見を受け入れるのは難しいことかと思います。それでも、話し合うこと、他人の意見を一度聞いてみること、本質を考えることをやめないように生きていきたいと私は今回の騒動、そしてこのコントを観ては思うのです。
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