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人生そんなもんよ 3+ 祖父と死後の世界

祖母は母の生みの親ではないけれど、二人にはそれぞれ霊感があり、どうやらその力は私にも受け継がれていた。
ここでは、亡くなって間もない頃の祖父と、祖父を介して見えて来た死後の世界を書いてみよう。

三途の川

祖父が末期の胃癌でもう長くないという知らせを受けた時、私はアメリカにいた。
しばらく実家にいるつもりで長男を連れて帰国し、祖父の葬儀までの出来事は先に書いた通り。
葬儀を終えたその日、寝ようと布団に入ると壁に祖父の影が映っている。
「おじいちゃん、まだいるんだね」
苦悶に歪んだ表情は何か言いたげでとても怖かった。
数日後、次に夢に出てきた時、祖父はいつもの優しい祖父に戻っていた。
大きな川を向こう岸まで渡ろうと、生前貧血でよく倒れた祖父を「大丈夫?気持ち悪くない?」と気遣いながら一緒に船に乗っている。
「大丈夫だよ」と祖父が言ったと母に話すと「それって三途の川じゃないの?」と笑った。

焼けただれた女性の霊

祖父のために一時帰国する前、アメリカで私の夢に出てきた女性がいた。
夢の内容はこうだ。
私が仲の良い友達と会話を楽しんでいると、突然その友達の顔が焼けただれて別の女性に。
ものすごい形相で私の顔の前まで迫って来ると「私の体がどこかに埋まっているから探して欲しい」と告げてきた。
私はよく夢で今は亡き人から何かしら頼まれることが多い。
焼けただれているということは火事か戦争で亡くなったのだろうと推測し、当時まだ生きていた父方と母方の祖父母に聞いてみたが、皆口を揃えて心当たりはないと言う。
母など馬鹿にして「そんな人いるはずがない」と頭ごなしに否定した。
だが、私を頼って来た彼女のためにも、このまま諦めるわけにはいかない。
祖父の葬儀当日、「そうだ、お寺さんなら何か知っているかもしれない」と思い立ち、ダメもとで聞いてみると奥から過去帳を持って来て調べてくれた。
すると、その女性は空襲で亡くなり、遺体が見つからないままだと判明。
墓石にも名前が刻まれておらず、ずっと皆の記憶から忘れ去られていた。
祖父の身内であることから、自分を知ってもらえるチャンスは今しかないと思ったのだろうか?
無事に見つかった女性の名前は、祖父の名前と一緒に墓石に刻まれている。

大泉の母

日本に帰って来てから、縁あって私は大泉の母を訪ねた。
大泉の母とは、当時TVで注目されていた霊媒師だ。
霊媒師と聞くと、なんとなく胡散臭いと思う人もいるかもしれない。
実は私も本当に見えるのだろうかと半信半疑だった。

店の前で数十分も待っただろうか?
順番が来て店内へ入るとコーヒーとお茶菓子が出され、少しするとそこへ大泉の母がやって来た。
名前と生年月日、手相を見て私を分析すると「あんたは心労の絶えない欲のない人だねえ」「私に何をして欲しい?」と大泉の母。
料金は当時確か500円くらいだったと記憶している。
私は一瞬料金に見合わないのではないかと躊躇したが「私についている霊を見て欲しい」と伝えると、大泉の母は快く承諾し「なるべく瞬きをせずじっと私の目を見ているんだよ」と言うと密教の真言を唱え始めた。
左肩が棒でグリグリ押されるように痛み始めた時「あなたの顔より一回り大きくうりざね顔で、真ん中から長い黒髪を分けた火で亡くなっている何代か前の先祖が左肩にいる。必ず先祖にいるから帰ったら聞いてごらん」と大泉の母は言った。

彼女の力が私に入り込んだのか?
その時、私に見えていたのは彼女についている老婆の霊だった。
この時を境に、スイッチを入れると人についている霊が見えるようになるとは、大泉の母のパワー恐るべし!
これでは信じるよりほかない。
「火」で亡くなった先祖探しがまた始まった。
ただ、このご先祖様は、祖父の葬儀に来ていた祖母の親類の話からすぐに誰か見当がついた。
江戸の大火で短刀を焼失した前田家のお妾さんだ。
「人生そんなもんよ2+祖母の勘と霊感」に登場する錆びた短刀を持って祖父の枕元に佇む髪の長い女性ともかぶる。
どちらにせよ、私のご先祖様なら供養するのみ。
手を合わせ始めてしばらくすると、左肩の痛みは嘘のように消えた。

大泉の母殿、ご健在でしょうか?
その節は大変お世話になり、本当にありがとうございました。
心より感謝申し上げます。

祖父の形見の腕時計と牧師さん

長男の小学校入学に合わせてアメリカから帰国。
実家を経由して、嫁ぎ先の秋田県男鹿市で主人の両親と同居を始めた頃の話である。

祖父から譲られた形見の腕時計が止まった。
1度直せたのだからきっとまた直るだろうと秋田駅近くの時計店へ持ち込むと、ヒゲゼンマイが切れているとのこと。
年代物で部品があるかどうか分からないが、やれるだけのことはやってみると引き受けてくれた。
しばらくして直ったと連絡が入り、引き取りに行った帰り道のことだ。
男鹿駅前の駐車場からふと目の前の小山を見上げると、そこに教会が建っている。
「こんな所に教会があったんだ」
教会が大好きな私に行かないという選択肢はない。
呼び鈴を鳴らし、出てきたプロテスタントの牧師さん夫妻に、形見の腕時計が直った帰り道に教会を見かけて気になって立ち寄ったと話すと中へ入れてくれた。
時計の持ち主である祖父の話をして行くうちに、その牧師さんが祖父をよく知る山梨の親戚だと分かってビックリ!
私が秋田へ引っ越した頃、牧師さん夫妻も転勤で越して来たのだと言う。
「おじいちゃんが巡り合わせてくれたんだね。寂しくないようにって」
それから何度か教会へ足を運んだ。
私はカソリックやプロテスタントといった宗派は気にしない質だし、神社やお寺も大好きだが、牧師さんとなるとそうも行かないらしい。
ヴァチカンでは聖体拝領できたのに、残念ながら男鹿の教会では拒まれて出来なかった。
なぜダメなのか納得が行かない様子の奥様が、「良いんじゃないの?」と後押ししてくれたのが今でも印象に残っている。


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