SFラブストーリー【海色の未来】9章(後編)
過去にある
わたしの未来がはじまる──
穏やかに癒されるSFラブストーリー
流風くんがいなくなってしまってから、数日後──。
海翔くんは夜勤明けにもかかわらず、朝から自分の部屋で曲作りに没頭していた。
「コーヒー淹れたよ……」
ドアのところから声をかけると、ソファで楽譜を見ていた海翔くんが眠たげな顔をあげる。
「ん……ありがと」
「疲れてるんでしょ? ちょっと仮眠したら?」
海翔くんのそばに行き、テーブルをおおう楽譜をよけてコーヒーを置く。
「バイト中に最高のフレーズ、思いついたんだ。
それでいけるはずだったのに……。
あーあ……、なんで俺、録音するかメモっとくかしなかったんだっ」
やけになったように言って、海翔くんはテーブルに突っ伏した。
「海翔くん……」
──最近、いつもこんな感じだ。根をつめすぎじゃないのかな……。
わたしはトレイを抱えたまま、海翔くんの隣に腰を下ろした。
曲はもう、誰が聞いても完成といえるレベルだった。
だけど、海翔くんは自分の曲を認めていない。
──ハーヴは天才だと思ってたけど、きっとどの曲も苦心しながら作ってたんだろうな……。
それに比べてわたしは、ここまで作曲を突きつめたことはなかった気がする。
懸命に音と向かいあってはいたけれど……
それでもどこか自分に甘かったのかもしれない。
──すごいな……海翔くんは。
目の前の海翔くんは疲れ果て、髪はボサボサ。
服にまで気がまわらないのか、このところ着古したシャツの上に
色あせたパーカーをはおった格好しか見たことがない。
──こんなふうになにもかも音楽に捧げられる海翔くんだから、ハーヴになれたんだ。
──そして……きっと今、あの曲が完成する……。
「……海翔くん」
テーブルにふせっている海翔くんの肩に手を置く。
「ん……?」
海翔くんがぼんやりと顔をこちらに向ける。
わたしはテーブルにある書きかけの楽譜を手に取り、海翔くんに見せる。
「この部分、ちょっと見て。
歌詞を変えたとき、それに合わせてリズムも変えたでしょ?」
「ああ……うん……」
「だからだと思うんだけど、ここだけ全体の流れから少し浮いた感じがしない?」
「浮いた……? ……あっ!」
突然、海翔くんが身体を起こし、楽譜を引きよせる。
「そうか……。俺、ここがひっかかってたんだ。ってことは……」
海翔くんはひとり言をつぶやきながら、そばにあったギターを手に取った。
──なにかつかんでくれた。海翔くん、あと少しだよ……!
わたしは思わず胸の前で手をにぎり合わせた。
そして、いくつかの旋律を試すうち……
海翔くんの指は、ついにオルゴールのメロディを奏でた。
「これだ……できた……」
呆然とした海翔くんのつぶやきがこぼれる。
──ついに完成した……。
「……おめでとう、海翔くん」
「うん……ありがとう」
海翔くんのちょっと泣きだしそうな笑顔に、嬉しさが胸いっぱいに満ちた。
だけど、それと同時に心臓が激しく音を立てはじめる。
──わたしは……きっと消える……。
7年後の世界のものは、もうすべて消え去ってしまっていた。
ハーモニカやスマホだけじゃなく、バッグも、ペンも、なにもかも……。
──残ったのは、もうわたしだけ……。
「比呂、聞いてて。頭から弾いてみる」
「……うん」
うなずき、海翔くんが弾きはじめたメロディに耳をかたむける。
──そう、このメロディだ……。
間違いなくオルゴールと同じ旋律が、今、ギターの音色で流れている。
『……比呂ちゃんはもう迷子じゃないんだね』
あのときの流風くんの言葉の意味は、まだよくわかっていないけれど……
わたしは迷いなく海翔くんのことだけを考えた。
そして、海翔くんの未来を開く大切な曲にたずさわれた。
──だから……もういいんだ。
「……おめでとう、海翔くん」
「は?」
海翔くんがキョトンとして、ギターを弾く手を止める。
「……ったく、何回おめでとうって言うつもりだよ?
ただ曲ができたってだけなんだけど?」
そう言って、照れくさそうな笑みを浮かべる。
もう見られないかもしれないその笑顔に胸が締めつけられる。
──お別れだね、海翔くん……。
次の瞬間、わたしの頰を涙が伝った。
「比呂……?」
「海翔くん……っ」
戸惑う海翔くんに、わたしは力いっぱいしがみつく。
「な……なんだよ……?」
あせったように言った海翔くんだったけれど、そろそろと手をまわし、わたしを腕の中に閉じこめる。
わたしは海翔くんの胸に顔を押しあて、泣きじゃくった。
「比呂……」
海翔くんが耳元に顔を寄せ優しい声でささやく。
「ありがとう……。比呂のおかげで曲ができたよ」
わたしが泣いている意味を海翔くんは勘違いしている。
だけど、その言葉がとても嬉しかった──。
どのくらいソファで海翔くんと抱き合っていたんだろう。
──……あ、あれ……?
──なんか……なにも変わってないような……?
とっくに泣きやんでいるわたしは、恐る恐る海翔くんから離れようとした。
そのとたん、海翔くんがぐらりと後ろに倒れそうになる。
「わっ! あっ! 危ないっ!」
あわてて海翔くんを引きよせると、身体の重みがずしりとのしかかる。
──ね、寝てる……。
頰が触れ合うほどの距離で、すやすやという寝息が響く。
背中越しに見えるいつもの海翔くんの部屋……。
伝わる海翔くんの体温……。
海翔くんの確かな感触……。
身体で感じるすべてが、さっきまでとなにも変わりないことをわたしに教えている。
──曲が完成したのに……消えてない……。
──わたし……わたしは消えないんだ……!
「海翔くん!」
ギュッと腕に力を入れて海翔くんを抱きしめる。
「ん……」
海翔くんはわたしにもたれかかったままで起きる気配もない。
肩にある無邪気な寝顔に、また涙がこぼれそうになる。
──これからも海翔くんのそばにいられる……。
「海翔くん、あの……重たいんだけど……」
そうは言ったものの、本当は少しも海翔くんから離れるつもりはなく……。
──ずっと一緒だよ……。
わたしは海翔くんと抱き合ったまま、彼の温もりを感じていた──。
その日の夕食の時間、曲の完成をお祝いすることになり……
いつもよりメニューを少し豪華にして、海翔くんのためにサンドイッチも食卓に並べた。
「お兄ちゃん、おめでとうございまーす!
じゃあ、みんなで、かんぱーい!」
美雨ちゃんが元気にジュースのグラスを掲げ、マサミチさんとわたしもそれにならう。
「おめでとう、海翔」
「海翔くん、お疲れさま!」
口々に言い、みんなでグラスを合わせる。
「まだ応募もしてねえんだけどさ……
なんだかもう、オーディションに合格したような勢いだな」
「お兄ちゃん、自信ないの?」
「まさか」
「じゃ、やっぱり今日はお祝いだねっ!」
「おい、そんなに喜ぶなって……」
ハイテンションの美雨ちゃんに、押され気味の海翔くんだったけれど……
「でもまあ……ありがとう」
はにかみながら、つぶやくように言った。
「お祝いだから、海翔くんがいちばん多く食べていいよ」
サンドイッチが山のようにのった大皿を、海翔くんの前にすすめる。
「えっ、マジ? みんなも食うの? もともと俺がぜんぶ食べるつもりだった」
「ぜ、ぜんぶ? いくらなんでも、こんなに食べきれないんじゃあ……」
「大丈夫。これくらい楽勝だし」
平然と言い放つ海翔くんに、美雨ちゃんが呆れ顔になる。
「はあ? お兄ちゃん、なに言ってんの?」
「フツー、そう思うだろ」
「なに? そのお兄ちゃんのフツーって。全然フツーじゃないじゃん」
美雨ちゃんに言われているそばから、海翔くんは大皿をじりじりと自分の近くに引きよせる。
「まったく、お前はいつまでも子どもだな……」
マサミチさんの言葉に、わたしと美雨ちゃんは一緒に声を出して笑っていた。
なごやかな雰囲気で、お祝いの会はすすんでいたけれど……
──この場に流風くんがいたら、どんなによかっただろう……。
ふと、そう考えてしまう。
「流風……今頃どうしてるのかな」
同じことを思ったらしく、美雨ちゃんがつぶやいた。
流風くんがいなくなり、美雨ちゃんは何日も落ちこんでいた。
でも今はもう美雨ちゃんなりに納得して、気持ちも落ち着いているようだった。
「あいつ、スイスでなにやってんだろ」
海翔くんは、いつも流風くんが座っていた席に目を向けた。
食堂の席はとくに決まっていなかったけれど、大抵、わたしの隣には流風くんがいた。
そして、その席は流風くんがいなくなってからは、
いつもぽっかりと空いていて誰も座ろうとはしない。
口には出さないけれど、いつ流風くんが帰ってきてもいいように……
みんな、そんな気持ちで空けているんだと思う。
「流風のことだ。誰とでもすぐに仲良くなって、元気に過ごしてるに違いないよ」
そう言い、マサミチさんがサンドイッチをひとつパクッと食べた。
「あっ、じいさん! いつの間にっ!」
「ちょっとお兄ちゃん、サンドイッチのお皿、抱えこまないでよっ!」
「これは早いもん勝ちだ!」
──またはじまった……。
──こんな子どもっぽいところだけ見てると、
海翔くんがあのハーヴになるなんて信じられないな。
サンドイッチをめいっぱい頬ばる海翔くんを、クスクス笑いながら見つめる。
──曲ができて、いよいよこれからだ。がんばってね、海翔くん。
わたしはもう、海翔くんがハーヴとして活躍する日々に思いをはせていた。
(BGM・効果音有り)動画版はこちらになります。
https://youtu.be/vVbPX_mTXq8
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【海色の未来】マガジンもございます。目次代わりにお使いいただけると幸いです。
https://note.com/seraho/m/ma30da3f97846
4章までのあらすじはこちら
https://note.com/seraho/n/ndc3cf8d7970c
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(マガジン【子どもだった大人たちのおとぎ話】)
(予告編:2分弱)
https://youtu.be/9T8k-ItbdRA
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