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昭和の鑑識

令和の時代から見れば江戸も明治も大正昭和も一括りに旧時代と言えるでしょう。


半世紀まで遡らない昭和後半の時代でも、今存在する電子機器、パソコン、スマホ等は存在していません、大手電気メーカーの研究室では密かに研究開発が行われていたでしょうが。

CDが出始めたくらい、田舎の町ではウォークマン(カセットテープ式)が今から流行るという頃に社会人となりました。

ですから、一事が万事、全てが今よりのんびりした社会。

時代と言えば時代でした。

保守的な警察組織の中も昭和というより前世紀の因習をそのまま、引きずるような面が多々あり、徒弟制度の残る当時の鑑識には当然ありました。

衛生面では本当に遅れていたと思います。今でこそ感染症に備えたマスク、手袋、その他を装着して検視等に臨みますが私が鑑識に入った当時、ゴム手袋は貴重品で本来は使い捨てなのに捨てずに、血液等が付着したゴム手袋を水道水で洗い、陰干しして、滑り止めの粉をつけ、再利用するのが当たり前でした。

ですから、大戦経験者などの古参鑑識職人の方は解剖も素手で補助していたなどと豪語されていました。

肝炎などへの罹患も統計などはありませんが多かったと思います。

世間一般でも当時はアバウトで今のようにA型・B型・C型と区別して言いますが当時はC型肝炎のことを非A非B型肝炎と呼んでいたくらいですから。

後天性免疫不全症候群等も未だ世に出る前でした。

今から見たら医学・化学も遅れた時代の私が居た頃の鑑識の話であります。

戦前生まれで先の大戦中、少年警察官ではありませんが雇(やとい)という資格で戦中から警察署の事務一般から鑑識業務にまで携わっておられた古強者もいらっしゃいました。

今でこそ、デジタル写真全盛でありますが前にも書いたかもしれませんが、当時はベルティヨン式被疑者写真撮影装置、手札版のネガフィルムで正面と斜め前の顔写真でした。

勿論白黒です。

指紋採取もライブスキャナはありません、当然、黒インクで採取、足紋も手口によりインクで採取していました。

被疑者の手指に水分の多いか少ないかでインクの量の調整が必要でした。

見分等で現場撮影した写真も鑑識係が暗室で現像、焼き付けするという職人でないとできない仕事ばかりでありました。

写真の現像焼き付けに使う暗室の現像液等の管理は寒い冬、暑い夏がありで薬液タンクを入れた水槽の水を温めたり、流水にして冷ましたりと一年・二年やった程度では身に付くようなものではないなと見よう見まねでやりながら新人係員は思いました。

師匠の部長さんなんかも今日はこのくらいと温度管理をその日の気温を肌で感じて設定しておられました。

設定温度をメモしてその日の気温とを記録して何とかかんとかそれらしき真似事はやりましたが今はすべて忘れています。

思えば、各警察署にそれぞれ鑑識係員がおられました。
ベテランの職人さんばかりではなかったと思いますが皆さん本当によくやっておられたと頭が下がる思いがします。先輩方、ご苦労さまでした。


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