鑑識の思い出
長くもない警察人生の中に鑑識の経験もあり、警察署の鑑識実務が2年、警察本部のデスクが5年、そのうち新任鑑識係員として働いた警察署鑑識係員時代の話。
鑑識と言えば、強盗事件や交通死亡事故ひき逃げ事故の現場鑑識活動が主な業務と思われがち、それはそれで重要。
しかし、取扱い多いのは
変死事案、死体、仏様の取扱い。
ほとんど病死だが殺人の可能性も無きにしも非ずで極めて重要。
病院で死なない限り、変死という扱いで刑事と鑑識が臨場。
新任時代の警察署鑑識係の1年間にも数々の変死事案を経験。
ほとんど病死、ちょっとした事件性疑われるものもあるが今回は省略。
一番の思い出はとある田舎町で発生した日本刀使用の無差別殺傷事件。
精神疾患の男が家宝の日本刀を使用、近隣の高齢男性や女性を次々と殺傷、無差別と言いながら立ち向かって来るような健常男性には斬りかからず。やりやすい弱者に向かい、後ろから斬りつける等致命傷を与えるべく老獪なやり口で敢行。
事件発生通報から被疑者確保までは大きな変動なく経過。
通報に即応し現場直行中のPCが、血まみれで刀を所持した男が歩いて来るのを発見、抵抗もなく確保。
その後が大変。
現場は数か所あり。即死状態の被害者は救急隊の判断で病院搬送せず、狭小な田舎警察署の駐車場が急遽遺体安置所に。
押っ取り刀で駆け付けた本部の強行班、機動鑑識班等警察の精鋭もこの種事件の経験がないことから何から手を着けて良いかわからぬ状況。
多数の現場、被害者、目撃者等あり…
ほとんどの者が舞い上がった状態。
署長以下署員も同様の状態。
その中で新任鑑識係員の本職は何をしていたか。
たまたま出くわした署長に
無線番をやれ
と言われ、無線に付きっ切りで対応、ある程度経過落ち着いたところで本部からお出ましの検視官が実施する代行検視の補助、それが終われば病院搬送された負傷者の負傷者程度の聴取等、現場とはかけ離れた業務ばかり。
病院から帰ってみれば田舎警察署の駐車場に日頃見たこともない様なテレビ中継車まで数台が来ており、多数のマスコミ関係者への対応を命じられ、右往左往。現場に行くこともかなわず。
現場から帰署した刑事課長や鑑識の主任さんに何で現場に来なかったのかと問い詰められ、署長に指示されて行かなかったと答えると
馬鹿野郎!署長と喧嘩してでも来い。
などとできもしない理不尽な叱られ方を経験。
その事件の事後処理も相当に尾を引いたことを思い出す。
被疑者の指紋と写真を採取した際、あしたのジョー(原作高森朝雄画ちばてつや少年週刊マガジン連載)に出てくる金竜飛のように
手を洗わせたらいつまでもやめない。
どうしたのかと問うと、被疑者は
手についた血が取れない
と洗い続けたのを思い出す。
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