挑戦に挫折しそうなとき、完璧じゃなくてもいいと言ってもらえるありがたさ
ボク、一ヶ月前まで会社員だったんですよ。
情報システム系のね。
その、職に就いてた頃なんですが、本とか、アプリとか、いろいろ作りたいものは多くて、脱線していました。今も脱線だらけですね。
ボクは、どんな作品でも、8割程度まで作ったら一気にやる気を無くしてしまうという癖が、昔からあります。
何をしたら完成と言えるのか、いつまで直していたらいいのか。
今、ボクがこの間出版した本だって、後半の方の強調処理とかを諦めています。
それでも、読めるところまでは作り上げたのです。
今までかけてきた時間、不意にしてしまいますか?
本気で作ったものが売れなかった衝撃は半端ではありません。
中途半端ならば?自分の恥、そういったものくらいでしょう。——
——そう言い聞かせて、中途半端でも作品を出すようにしています。
さて、自分の恥というのは、どこから生まれてくるものなのでしょうか。
誰かに見られる算段も立っていないのに"恥"。
妙ですね。
そうなんですね、恥というのは自分で作り上げています。
他人でなければ自分自身。
もしくは、その辺の石ころか。
もちろん、自己満足で完成度を上げる方も多くいます。彼らを否定するつもりも、毛頭ありません。
ただ、ボクは伝えたいことがあったのです。
ボクのためではなく人々の為に、作品を出すのです。
それは、作り上げたのなら少しでも早く発信すべきでしょう
——エゴと言ってもいいでしょう。影響されるのはボクではないのですから——。
まだ売れ始めてもいないのに、慎重になるのは馬鹿馬鹿しいと思いませんか?
注目されてもいないのに、注目された先のことを想像している。
まさに、取らぬ狸の皮算用ですね。
誰でも通る道です。
恐らく、過去の作品を見ると誰でも悶えます。
能力はあると思うから、とりあえず発信しよう。
後から直せる。
完璧主義になるな。
そういった様なことを退職前にSNSで励まされました。
(原文の階層が深いので…)