いかなる花の咲くやらん 第9章第5話 「さようなら母上」
この頃母の万却御前は下の別所の親屋敷に暮らしていた。二人は母の元へ行き、五郎は障子の外へ控え十郎だけが中に入った。
「母上、この度 頼朝様の狩りの様子を伺いに参ろうと思います。五郎も連れて行きたいのですが、その前に五郎の勘当を解いていただきたいのです」
「五郎。五郎とはどなたです。私に五郎という息子はおりません。箱王という子供はおりましたが、勝手に元服をし、どのような名になったかも知りません」
「ですから、母上 その箱王が五郎です。もう、お許ししてあげてください。一体 五郎が何をしたというのですか。五郎が元服したのは実は私のせいです。明日出家という夜に、私の元へ別れの挨拶に来ました。もう箱王と共に今までのように語り合うこともかなわぬことが寂しくなり、これからも一緒にいたいと、私が引き止めたのです。母上に怒られるから それはできないと申す五郎に『母上のお怒りはこの兄が必ず解いてみせる』と申し上げました。お願いですから一言許すと言っていただけませんか。箱王の罪は出家しなかったということだけです。どうかお願い申し上げます」
「箱王の罪・・・。箱王、障子の陰にいるのでしょう。顔を見せておくれ。お前に罪などありません。罪があるとすれば、この母です。そなたたちが仇討ちを考えているのではないかと疑り、荒ぶる気持ちを静めるために権現様にお預けいたしました。でも、箱王は兄上といる時が一番心安らぐのですね。こちらへいらっしゃい。」
五郎はうつむいたまま膝で部屋の中へにじり寄った。
「母上、お久しゅうございます。勘当を解いていただけるのですか」
「五郎という名を頂いたのですね。遅くなりましたが 元服おめでとう。立派になりましたね。これほど大人になるまで会わなかったこの母は浅はかでした」
「お許しいただきありがとうございます。北条時政様に、元服親になっていただき、曽我五郎時宗と名前をいただきました」
母も五郎も十郎も涙を流しながら、心がほどけていくのを感じた。
「それにしても、五郎今着ている小袖は随分見苦しいですね。十郎はいつものことだからいつもの連銭模様の小袖をお貸しします。吾郎は久しぶりなのでこの白い唐綾の小袖をお召しなさい。そして十郎には千鳥模様の直垂と、五郎には蝶々柄の直垂を与えましょう」
そう言って立派な小袖と直垂を兄弟に渡した。
「ただし狩りから帰ったら、これらの小袖をお返しください。それは祐信様のものです。お戻りになられたら、そなた達に差し上げる為に、そなた達が気に入りそうな小袖を用意して待っております。くれぐれも気を付けて行ってらっしゃい。お早いお戻りをお待ちしておりますよ。今まで離れていた時間を取り戻しましょう」
部屋に戻った二人は勘当を解いてもらったことを喜び、これで心おきなく旅立てると話した。
「母から借りた小袖を返しに来られないことが申し訳ない」
「二十歳まで育ててくれた母上の恩に報いることなく、勘当を許されてすぐにあの世に旅立つ事が悲しいですね」
「父上を供養をしようと思うと 母上を悲しませてしまう。我らの境遇の恨めしさよ」
「せめて手紙を書きましょう」
二人は母に手紙を書き、部屋を掃除して家を出た。
「死んだ人を外へ出す時は普段使う門からは出さないということだ。我々はもうこの世のものではない。いつもの門から出ては、残った家族に不吉を与えるかもしれない」
「では、あちらの垣根のかけたところから外へ出ましょう」
「ここも、お前が壊した垣根だな」
「思いっきり打ち込んだら、たまたま割れてしまっただけです。わざと壊したわけではありません」
「それも良い思い出じゃ」
二人は母に与えられた衣装に着替え、裏の壊れた木戸からそっと外へ出た。
母の部屋の灯りが、いつまでも追いかけてくるようで、五郎の大きな肩が震えた。
参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53
次回 いかなる花の咲くやらん第9章第6話「矢立ての杉」に続く
千鳥と蝶の直垂は吾妻鏡には出てきません。
後に歌舞伎になった時に、そのように設定されたようです。
兄弟仇討ちの屏風絵にも、その出で立ちの兄弟が描かれています。
その絵をここに載せたかったのですが、著作権など難しいので、
検索してご覧ください。
富士野の巻き狩りの屏風絵で千鳥と蝶の着物を手掛かりに
兄弟を探すのはウオーリーを探せみたいで面白いです。
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