創作大賞応募用 いかなる花の咲くやらん 第10話 いよいよ
永遠はいつまでも泣いてはいなかった。兄弟が思いを果たせたのち、鎌倉でお取り調べがあるだろうと永遠は考えた。(二人の恩赦を願い出よう。そのために自分に出来ることは何だろうか。いつか五郎が勘当された折、親類の家を転々としていたことがある。その時に頼りにした方々は信頼できる方々だと言っていた。これらの方々に連名で嘆願書を書いていただこう。でも、ことをなす前に相談したことによって、二人の計画が露見してしまないだろうか。私が知っていたとなれば私も罰を受けて処刑されるかもしれないけれど、私はどうなっても構わない。ただ、親類の方々に迷惑がかかるのではあるまいか。慎重に、でも素早く行動を起こさなくては。二人がお手打ちになる前に。)永遠は、苦悩した。(考えている時間はないわ。早くしなければ手遅れになってしまう。我が子のように兄弟を可愛がってくれている三浦の伯父様と伯母さま、従姉妹の夫の渋谷庄司重国様、お姉さまの夫の渋美朝忠様。なんとしても、二人が処刑されることをくいとめなければ。そうだ、岡崎義実さま。岡崎様の奥様は二人の伯母様、北条政子様のお母様の御妹だもの。政子様の御威光があればきっと頼朝様もお聞き届けくださる。普段からなにくれとなく面倒を見て頂いた岡崎様に最初に相談しよう。岡崎ならここからも近い)永遠は岡崎を目指した。
岡崎に着いた永遠は、愕然とした。岡崎義実は、巻き狩りへ同行していて留守だったのだ。
(なんて愚かな思い違いを。今回の巻き狩り。坂東武者すべてが参加していると言って過言ではない。わかっていたのに。冷静にならなくては)
永遠は伯母に訴えた。十郎と五郎が今までとは違う覚悟で富士の巻き狩りに出かけた。きっと今回は本願を成就するであろう。しかし、祐経を討った後、召し取られ、頼朝様に首を斬られるかもしれない。助命嘆願を親類一同でしていただけないか。伯母はすぐにすべてを承知した。
「危惧しておりましたことでしたが・・・。あい、分かりました。夫が帰りましたらすぐに鎌倉へ嘆願できるように準備をしておきましょう。事前にことを知っていたとなれば、そなたもこちらも処分される恐れもあります。兄弟の処分は鎌倉のお白洲で取り調べの後だと思われますから、二人が鎌倉へ着く前に書状が届くようにすれば間に合いましょう。そなたはその足ですぐに三浦へ行くが良い。和田義盛殿の奥方なら必ずや力を貸してくれましょう。馬とお付きの者をお貸し申します。ささ、急がれよ」
永遠は休む間もなく三浦へ向かった。早馬など乗ったこともなく、三浦へ着く頃は手足がばらばらになりそうであった。
それでも、水のいっぱいも飲まず、すぐに三浦の伯母様にも、岡崎の伯母様に言ったことと同じことを訴えた。三浦の伯母さまもすぐに合点した。
「和田と渋谷殿、本間殿、渋美殿とも相談いたしましょう。こちらが動けるのは、鎌倉で処分が決まってからです。それまで、事の成り行きを見守るしかありません」
どんなに急いでお願いに来てもやはりことが終わったのちでなければ伯母さまたちも動くことが出来ないのだ。永遠は落胆し、大磯に帰った。
「そうだ、虎御石。石に頼もう。私を令和から鎌倉へ連れて来られるほどの霊力を持ってすれば、十郎様をお助けできるのではないだろうか」
永遠は急いで大磯に戻り、座布団の上にちょこんとおかれた石に訴えた。
「虎御石、聞いてちょうだい。十郎様が大変なの。このままでは十郎様は死んでしまう。どうにかして十郎様を助けて。覚悟はしていましたけれど、やっぱりあの方を失うのは辛い。そもそも、どうして私をこの時代に連れてきたの?八百年もの時を超えても、愛する人と幸せに暮らせるなら、それはそれで暮らせましょう。私の命を持ってあの方をお救いするために連れてこられたのなら、それもまた定めと思えます。ところが今、愛する方は死への旅立ち。私は独りぼっち。私は、私は一体どうしたら良いの?どうしろと言うの?」
親族へ巡って来た疲れもあり、永遠は泣きながらいつしか眠ってしまった。すると夢の中で声がした。
「私はあなたたちの思い。あなたたちは前世でも恋人同士でした。その時は理由あって添い遂げることが出来ず、二人生まれ変わって、共に生きていこうと固く誓い合い、命を絶ちました。あなたたちはこの時代に生まれ変りました。ところがあなたは疱瘡の大流行で幼くして亡くなってしまいました。このままではお二人の縁(えにし)が切れてしまう。そこで八百年の時をさかのぼり令和の時代から、あなたをこちらの時代に連れてきたのです。二人で幸せに暮らすために。ところが十郎様と五郎様の武士としての気骨の精神、人の子として孝行のお気持ちが大変強く、仇討ちの意志は変わりませんでした。ここから先は私の力だけでは、及びません。永遠、祈るのです。今から高麗神社にてお念仏をお唱えなさい。心から十郎様のことだけを思って。十郎様にそのお念仏が届き、二人の気持ちが一つになった時、また二人は結ばれる」
「待って、まだ聞きたいことがたくさんあるのに。お願い、待って」
目を覚ました永遠は、虎御石をじっと見つめた。石は冷たい石のまま、ぴくりとも動かなかった。その石を懐に抱いて、高麗神社へ急いだ。禰宜様にお許しを得て本堂に入り、ただひたすらに念仏を唱えた。禰宜様も護摩を焚き、共にお経をあげてくださった。
その頃亀若は駿河の国富士の里にいた。曽我から帰った永遠の泣き疲れた様子を見て、兄弟がついに決心をしたのだな。今生の別れを十郎としてきたのだと察した。そして必ずや兄弟の本懐を成就させるために、自分に何か手伝いができないかと思案し、いてもたってもいられず頼朝一行の後を追っていたのだ。女の足ゆえだいぶ遅れをとったと思ったが、箱根を回っていた兄弟はまだ狩場に着いていなかった。「五郎様、遅いなあ。道中何かあったのかしら」そう心配している時、遠くに兄弟らしき影を見た。「ああ、やっと追いついてきたのだわ。何か役に立つことがあるかと思って、何も考えずにきてしまったけれど、顔を見せては、かえって邪魔になる。離れて見守りましょう」
日逼(ひせめ)狩場で頼朝一行に追いついた兄弟ではあったが、祐経は用心深く夜回りも厳しく少しの隙もなかった。翌日、井出の館でも一晩中射手を並べ勢子を集めて警戒をしているのでこの晩も虚しく明けようとしていた。
「兄上、人が多すぎますね。どのようにしたらよいでしょうか」
「ふむ、野営の者、宿舎の者、多すぎて、どこに祐経がいるかも、よくわからぬ。」
翌日、五郎は丘に上がって馬の頭を下げて立っていた。十郎ははるか遠くの後方の草原の中にススキを分けて馬を控えていた。こうしたところに祐経が三頭の鹿に狙いをつけてかけてきた。十郎の大変近くまで来たが、ススキを隔てていたので十郎は気がつかなかった。五郎が気付き、丘の上から見て左下を、矢をつがえて指し示したが、十郎は鹿が来ると言っているのだとばかり思い、「鹿を討ちに来たのではない」と弓をつがえるとこはなかった。そこへいきなり祐経が現れた。「なんと祐経が来た」と言っていたのか十郎は急いで馬の足を立てて態勢を立て直そうとしたが、馬の左の前足をツツジの根に引っ掛けて馬が転んでしまった。十郎はゆるりと降り立ち すぐに祐経を追ったが 北条時政岡部五郎、吉香小次郎などが、祐経をはさんで合流してしまったので、思いとどまるしかなかった。その後も人々に見咎められないように
十郎が馬を走らせると 吾郎が馬を控、五郎が馬を走らせると十郎が馬を控えた。その日も虚しく一日が終わってしまった。翌日から三日間は巻狩であった。巻き狩りというのは、勢子の者たちがたくさん山に入り、上野山から鹿を追い下し、ふもとの野を取り巻いて囲んで、思い思いに射とるのである。射手をそろえ、組み合わせを決めて、頼朝殿の御前で鹿を射止めてお目にかける。組み合った人々が順番に召され、それぞれが華やかに着飾って参上した。気に入りの馬と馬具もそろえ、本当に世にもまれな豪勢な舞台の見せ物のようであった。その三日間も全く好機には得られなかった。
五月二十八日
兄弟は宿所で話し合った。「明日は伊豆国府までお戻りになり、明後日は鎌倉へお入りになるとのこと。今宵を逃しては仇討ちはできませんぞ」
「しかし、館の警備が厳しく祐経に近づくこともできん。どの宿にいるかもわからん。刺し違える覚悟をもってしても そばに寄ることもできなければ 刺し違えることさえできない」
「万策尽きたか」
兄弟が頭を抱えていると その時、宿の女中が一通の文を持ってきた。文には【今宵、鶴菊の番傘のある宿所へおいでください。祐経殿はそこにおります。亀若】と記されていた。
「兄上、亀若さんからでございます」
「にわかには信じがたい」
「今まで亀若さんの情報が間違っていたことがありましょうか。私は信じて良いと思います」
「わかった。鶴菊の番傘だな」
兄弟がなかなか機会を得られず、いよいよ 明日は頼朝一行が鎌倉へお戻りと聞いた亀若は意を決して 、祐経の宿で酒の相手をすることにした。
「こちらは、この度狩りの責任者である祐経様の宿所でございましょうか。私は大磯の踊り子 亀若でございます。かねてより祐経様の武勇伝は色々と伺っております。本日も大きな鹿を仕留めになったとか。私の拙い踊りではございますが、ぜひ狩りの疲れを癒させていただけないでしょうか」祐経はひどく喜んで、亀若を酒の席に呼び込み、舞を舞わせることにした。
「あらあら、綺麗なボタンが篠突く雨に打たれてお辞儀をしております。かわいそうに。少しお待ちくださいね」そう言うと亀若は持ってきた鶴菊の番傘をボタンに差し掛けた。祐経はご機嫌で酒を飲み、亀若の踊りを見ながらまた酒を飲んだ。したたかに酔ってはいたが、まだ狩場の緊張もあるのか、酔いつぶれるほどにはならなかった。
「さあ、明日は出発だ。そろそろ奥へ行こう。亀若といったな。見事な踊りであった。ありがとう。褒美を取らせる。さ、もう下がって良い」と、奥の間へ行こうとした。
「奥へ行かれてしまうのですか。私は嫌です。祐経様と朝までここに一緒に居とうございます」
「いやいや、なんと嬉しいことを。しかし、実はこの祐経を仇と狙っておる 愚かな兄弟がおってのう。馬鹿々々しい話だが、おちおち寝てもいられんのだよ。本当に迷惑千万な話よ」
「せっかく憧れの祐経様とお目にかかれましたのに」
「あははは。すまん、すまん。おやすみなさいよ。今宵は楽しかったよ」
(ここで警備の厚い 奥座敷に行かれてしまっては、また兄弟は手出しができないわ)咄嗟に亀若は 自分の帯を解くと 着物を脱ぎ捨てた。
「これでも奥へいらっしゃいますか。女子に恥をかかせる物ではございません」
「あゎわわ、わかった。わかった」
慌てた祐経は供の者たちだけを奥へ行かせ、自分はその晩は亀若と そこの部屋で床についた。亀若は床を延べる時に、五郎にもらった貝細工のかんざしを、部屋の入り口の鴨居に 突き刺した。
亀若の手紙を読んだ兄弟は急ぎ、菊鶴の番傘のある宿を探した。
この時の十郎の出で立ちは、白い布の褌を締め、白いわきの深く開いた帷子に黄色の大口場窯の裾を何か所も裂いて、下には大磯の永遠が着替えた綾乃小袖を着て、その上に母から貰った群千鳥の模様のついた直垂に襷をかけ、一寸斑の烏帽子間の尾を強く締め、赤銅作りの眺めの太刀に箱根の別当からもらった黒鞘巻きを差していた。
五郎も同じく白い布で褌を締め、白い脇の深く開いた帷子に白い大口袴を何か所も裂き、下には浅黄の小袖を着て、上には母から貰った賽布の直垂に蝶々を所々に描いたのをすっきりと着こなし、襷をかけ、遠雁金の模様の着いた紺の袴の括り緒を結び、これも一寸斑の烏帽子懸けの緒を強く結び締め、箱根の別当から頂戴した兵庫鎖の太刀に、祐経から与えられた赤木の柄に銅金を施した刺刀を差していた。
兄弟は鶴菊の番傘がボタンに差しかけてある宿所を見つけた。
「兄上、あそこのようですね」
「しばし、この岩に隠れて、様子を伺おう」
「あちらの井田の屋敷に、頼朝はいるようですね」
「祐経は・・・・」
「何、なんとおっしゃいました」
「だから、祐経・・・」
ザザザー
「滝の音がうるさくて、兄上の声も良く聞こえません」
ザザザー
「ええい、うるさいぞ。滝。こちらは命を懸けて、親の無念を晴らそうとしているのだ。
少しは静かにできんのか」
「滝におわす竜神よ。しばしその勇猛な音をお鎮めください。そしてわれら兄弟の仇討ちにお力をお貸しください」
兄が静かに滝の竜神に願いを唱えると、滝は落ちるのをやめ、辺りは針を落とした音も響きそうな静けさになった。
「やはり、我らには神が味方をしてくれているようだ。ありがたや。ありがたや」
「頼朝のいる宿はあちらの井田の館。祐経は頼朝と共にいるではないのか」
「ふむ、こちらの宿所とは十町ほど離れている」
「このような警備の薄い宿に、本当に祐経がいるであろうか」
「兄上、亀若がここに居ると言ったら、必ずここに居りまする」
「そうだな。必ず、祐経はここに居る」
兄弟が話を終えると、また滝は轟く音を立てて、落ち始めた。
ザザザザザー
まるで兄弟の動く音が仇に聞こえないようにと、先ほどよりさらに大きな音で流れはじめた。
二人は菊鶴の番傘を手に宿の中へ入っていった。廊下が暗く何も見えないので、入り口の篝火を番傘に燃え移らせ、暗い廊下を進んだ。しばらく行くと何かがキラリと光った。「亀若の簪だ。」五郎が亀若にあげた亀の細工の簪が、入り口横の柱に刺さっていた。二人は簪の刺してあった部屋の障子を思いっきり開けた。そこには祐経と添い寝する亀若がいた。
「亀若さん・・・」亀若は三つ指をついて「文字通り身を呈して祐経殿を足止めしておきました」
五郎は我が耳と目を疑った。今更ながら、亀若が自分にとってどれだけ大切な存在であったかを思い知らされた。
「なんということを」
「亀若の操、五郎様のために捧げました。悔いはありません。さ、早く。祐経殿は寝ておられます。今のうちに」
五郎は松明代わりにしていた番傘を振り捨てて、亀若を抱きしめた。しかし、自分の中にたぎる荒々しいものが、清らかで柔らかいものを傷つけてしまいそうで、急いで体を離した。何も言葉を発せられない五郎に代わって、十郎が礼を言った。
「かたじけない亀若さん。さあ、早くお逃げなさい」
「はい。大願成就をお祈りしております。さようなら」
亀若は急いで着物を羽織ると部屋を出ようとした。
「待て。亀若、護身用に持って行け」
五郎は絞り出すように言って、祐経から渡された赤木の柄の刺し刀を亀若に渡した。亀若は刀を握りしめ、闇に消えて行った。
参考文献 小学館新編日本古典文学全集53曽我物語