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いかなる花の咲くやらん 第9章第7話「微塵」「友切」 

箱根大権現に到着した二人はまず権現様にお参りをした。
「権現様、あなたの人を救うという請願が本当ならば、親の仇にめぐり合う機会を どうぞ与えてください」
「仇の首をお授けください。もし、願いが成就しないならば私が二人とも命を奪ってください。そうすれば、すぐに悪霊となり祐経にとりついて呪い殺しましょう」
「そのうえで厚顔なお願いではありますが、大磯に残してきた永遠殿と母上をどうかお守りくださいませ」こうして二人は権現様を参拝した後、別当の行実僧正のもとへ下った。
別当は二人を心からもてなした。「お二人の様子を見ると、今日から後 二人にお目にかかれることがあろうとは思われないようですね。何事もないように振る舞っておられるが、お二人が覚悟を決めているようにお見受けする」
「思いもよらぬことです。霊剣のない神に霊感を与えるとはこのことでございましょう。我らのようなものがどれほどのことを思い立ちましょう」
「頼朝様は今日、相沢で狩りとお聞きしております。ところが、お二人は足柄をお超えにならず、箱根へいらした。権現様にご祈願なさると共に、私に別れを告げに来てくださったのでしょう」
「全てお見通しでございますね」
「今まで長い間参上いたしませんで、すみませんでした。お手紙を頂きながら返信もできず申し訳ありませんでした。いただいたお手紙はいつもありがたく拝読しておりました。ただ、ただ、出家前に勝手にお寺を出た恥ずかしさ、申し訳なさから顔を出すことができませんでした。別当様には本当に良くして頂きました。ありがとうございました」
「殿達に引き出物を差し上げよう」と言って別当は 兵庫鎖の太刀と黒鞘巻きの刺刀を、宝庫から取り出してきた。
「この太刀は九郎大夫判官殿(義経)が木曽追罰のために上洛された時、祈祷のためお納めになった太刀です。黒鞘巻きの太刀は「微塵」といい、義仲相伝の物です。兵庫鎖の太刀は「友切」といい、昔は「膝丸」と言われていました。
「微塵」を十郎殿に「友切」を五郎殿に授けましょう」
微塵は長さ三尺三寸。木曽義仲が嫡男の義高の無事を祈願して奉納された。どんなものでも微塵に砕くことが出来、刃が通らぬものはないというのがその名の由来だ。
膝丸は長さ二尺八寸。源氏重代の太刀で、罪人の試し切りにおいて、上半身から膝まで断ち割ったことから、そう名付けられた。しかし、膝丸は持ち主が変わるたびに、その名を変えている。源頼光の手にあった時は「てうか」、源頼信の手にあった時は「虫食」と呼ばれた。源頼義は「毒蛇」、源義家は「姫切り」。それぞれ命名の由来になる逸話はあるが、なかでも面白いのは、源為義に譲られたときの逸話で、並んでおかれていた太刀が自分より六寸長かったため、焼きもちを焼き、刀同士で切りあった。結果、隣の刀の先を斬り落とした。そのために「友切」と呼ばれたという。その後、源義経は、熊野の深緑を映したような美しさであることから「薄緑丸」とした。そして兄、頼朝との関係修復を祈願して箱根大権現に奉納された。
 
刀を二人に渡した別当の行実僧正は立ち上がり、烏す沙摩の本尊を持仏堂にて逆さまにかけ直した。
「殿たちが本懐を遂げられないうちは正しくおかけ申しあげないことにいたしましょう」
「ありがたいことです。別当様の一言一言が権現様からのご託宣のようです」
「長年の祈願は必ず成就すると思われます」
「この別当がついております。来世のことはご安心ください。十分にご供養申し上げましょう」

二人は頂いた名刀を手に箱根大権現
を後にした。
やがて別当は多くの僧を引き連れて護摩檀を設け、祐経の形代(人形)を作って調伏の祈りを始める。精魂を傾けて祈願すると、不動明王が護摩の煙、不動の火焔の中に現れ、形代の首を切って剣の先に貫き通した。


「五郎、別当様にお別れが出来て良かったな」
「はい。もう思い残すことはありません」
「別当様は本当に五郎の頃をよく考えてくださっているのだな。大変世話になったな。最後に思いもよらず、このように素晴らしい刀を下さった。ありがたいことよ。しかし、この刀を別当様から頂いたことは口が裂けても言ってはならぬ」
「はい兄上。この『友切り』稀代の名刀でございます。あの頼朝様も欲しがっていらっしゃいましたが、御神宝のため手が出せなくて、口惜しく思っていると聞いたことがあります」
「私が頂いたのは『微塵丸』三尺三寸はあろうか。なんでも微塵に切ることができ、通らぬものがないという、美しく強い刀だ」
二人は話しながら、箱根の山をだいぶ下りてきた。
「兄上、ちょうど良い石があります。一つ試し切りがしとうございます」
「五郎、無茶を申すな。せっかく頂いた刀、刃こぼれでもしたらどうするのだ」
「この刀が切りたがっております」
五郎は一抱えもある大石に切りかかった。刀はまるで吸い込まれるように石の真ん中を通り抜けた。大石の半分は傍らの崖の下を流れる須雲川を目指して落ちてゆき、大きな水しぶきを上げた。

参考文献 小学館「曽我物語」新編日本古典文学全集53

兄弟か頂いた名刀の名前は1つの刀に色々な名前が付いています。
また、別の記事で紹介しようと思いますが、「友斬」「膝丸」と言った方が馴染のある方も多いかもしれません。

次回 いかなる花の咲くやらん 第10章第1話 「永遠が十郎のために出来ること」 に続く。

 


箱根神社から旧道をバスで降りてくると、発電所前というバス停の脇に
曾我五郎が割ったとされている石がある。
雑草に覆われてあまり人目に付かないです。
人通りもなく、心細かったですが、見つけた時は喜びひとしお。



更にバスで下り、湯本に近い曽我堂というバス停で下車すると
正眼手という曽我兄弟に因んだお寺があります。
ここからバスで4停留所で、前の話に出てきた矢立の杉がある
三枚橋というバス停になります。
ここまでくれば町中で人通りもあるので歩いてみても良いと思います。








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