見出し画像

外国人の墓地問題。根拠も理由もない反対。何のために?

クローズアップ現代を見ていたら、日本に住んでいる外国人がお墓に入れないという話がありました。

情報取得のための言葉の壁や、国籍の問題など理由は様々でしたが、なかでも印象的だったのが日本国籍を取得したイスラム教徒カーン・タヒル・アッバースさんのエピソードです。

イスラム教徒は死後の復活のために、肉体を土葬しなければなりません。日本の法律では土葬を禁止していないため、なんども役所に足を運びイスラム教徒をはじめ、土葬を望む人たちのために、カーンさんは大分県に土地を購入しました。

しかし、カーンさんは仲間とともに住民へ説明をしますが、全住民の3分の2以上によって議会に陳情があげられてしまい、墓地を建設することがなかなかできません。

住民の方がなぜ反対か理由をいう場面がありました。

この池が私たちが生活用水として利用しているため池です。私が心配しているのが水質汚染ですね。風評被害も出るでしょうから。牛にこの水を飲ませて影響が出れば風評被害とか。お米なんかでも水は関係してくるから。やっぱねえ。地区を変えてくれるのが一番いいんだけど。どうしても今の場所があまりにも悪いと思うけん。

墓地の予定地からため池は1.5kmほどとのことです。ため池の真ん中に高速道路を支える支柱が立っていて、ため池の真上をトラックが通っていました。

水質汚染にはなんの根拠も示されませんでした。工事を入れるのがいけないというならば、高速道路は走らないと思います。遺体を濡らした雨が土にしみこみ流れることを言っているのかもしれませんが、1.5kmの距離があるならば、墓地の建て方について話し合うことができるのではないかと思いました。

「いやだ」という感情が先にあり、それになんとか理由をあとからつけたという状況ではないかと思いました。言葉と行動の間に整合性がないように感じます。

同じような理由で夫婦別姓についても反対をされているなーと感じる時があります。

変化をすることがいやだったり、なんとなく気に入らなかったり、そこにあとから理由をつけて反対します。それに対して、回答があったり、反論があったりした場合でも、最初にあるものは結論なので、その結論にたどり着けるよう筋道を変えるだけの歪な言い合いが続きます。

私もなんとなくいけ好かないと思ったときに、それに理由をつけて正当化してしまうことがよくあります。運が良ければ、「あれ?私なんか変なこと言っていない?」とちょっと経ってから気づくことができて、「恥ずかしい!」という感情に襲われます。

結論から理由を作るようなことは避けていきたいです。とても難しいですが。


いいなと思ったら応援しよう!