エナ
韓国ソウル鍾路区のおさんぽの友です。 在来市場や路地、歴史的観光スポットなどを集めたマガジンです。 ソウルを歩く旅をしたい方にお勧めです。
ソウル市中区のおはなし
[目次] 1 14世紀から19世紀の素月路 2 日程時代の素月路(1910-1945年) 3 朝鮮戦争と素月路(1950-1953年) 4 朴正煕時代の素月路(1960年代) 5 高度成長期の素月路(1970-80年代) 6 21世紀の素月路 7 素月路のアクセスと旅の一言韓国語 1 14世紀から19世紀の素月路 最初に漢陽(ハニャン)に城郭ができたのはいつの頃だろう。少なくとも14世紀にはできていた
ソウルのど真ん中を流れる清渓川(チョンゲチョン)は、鍾路(チョンノ)の交差点のあたりから突然現れる。近代化が進む過程で清渓川の上流は道路の下に隠されてしまった。ほとんど地中に埋められた流れの中に、気まぐれのように一部だけが地上に顔を出すところがある。 2010年のこと。西村(ソチョン)にある玉仁市範アパートが取り壊された。このアパートは1971年に建てられたアパートだった。玉仁市範アパートの撤去によって、一つの渓谷が地上に顔を出した。それが水声洞渓谷である。 朝鮮時
ソウル旧市街、五王宮の一つ景福宮の西側の一帯を【西村】と呼ぶ。朝鮮王朝時代、王族たちの別荘地であったと言う。王宮に隣接したあたりは、主に中人と呼ばれる階層が多く住んでいたそうだ。中人は、医者やその他の技術者など、王宮になくてはならないものの、国政を担わないたちの階層だ。 その西村に「日本人」が住み始めたのは、植民地時代。こちらの言い方では日本帝国強制占領期 (略して『日帝時代』)。下の図は、博物館にあった当時の西村。 青が朝鮮人の居住地、赤が日本人の居住地。青の朝鮮人居住