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『優しいとは許すこと』川瀬武士は かく語りき

《優しいとは許すこと》

中学生の頃だったか、

ふとしたきっかけに、父がその言葉をくれた。
その言葉を聞いた時、はっとした気がする。

その時から何十年を経た今も その言葉は 折に触れて牛のように反芻されている🐮

父はその瞬間、なぜ私に この言葉を伝えようと思ったのだろう。
と言うより、父の声を通して 神様がくれた言葉だったのかもしれない。

でも 詩人らしい 父らしい言葉だ。

肉眼でものを見ると同時に 心眼でも観る。
第三の眼なのかもしれない。

川瀬家の皇太子さんやと大切に育てられた幼少期、数え5歳で父親の死、戦争、小豆島に疎開、長じて 毎日徹夜で新聞に四コマ漫画を描いていた時代、一つのコッペパンを少しずつ三日で食べたという話も聞いている。
そこから広告の世界に。

厳しい時代を生き抜いた野生のカンみたいなものも 持っていた。

前後の会話は記憶がないし、唐突に口にしたのかもしれないけど、サラッと言った。

今 現在も 一日に数回は、ふとしたタイミングで その言葉を思うのだから、
私にとって 大切なエッセンスになっている。
まだ、"許す"ことができていないということを突きつけられている。

突きつけているのは自分。

なにを、誰を誰を許すのか。

自分。

自分のした行い。

自分を心底許せた時に 優しい人として成熟するのか。

いつのまにか、生きる上でのテーマになってしまっている。

親子なと、濃い関わりは、過去世でも縁があると聞く。

生まれ変わり死に変わりして 未来でもまた 関わるかもしれない。

ともかく 次に会ったら、まずは感謝を伝えて御礼を言わなきゃ。


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