川瀬武士ものがたり

漫画家、広告マン、クリエイター、詩人、作詞家で、マーケティング・プレゼンの神などと称された川瀬武士。家庭では、すき焼き・お好み焼き・刺身料理人。天から授かった豊かな才能と、芸術家の血筋と、強運と、シビアな処世術で生き抜いた川瀬武士の世界を 娘・奈々子の目線から紹介していきます。

川瀬武士ものがたり

漫画家、広告マン、クリエイター、詩人、作詞家で、マーケティング・プレゼンの神などと称された川瀬武士。家庭では、すき焼き・お好み焼き・刺身料理人。天から授かった豊かな才能と、芸術家の血筋と、強運と、シビアな処世術で生き抜いた川瀬武士の世界を 娘・奈々子の目線から紹介していきます。

最近の記事

謝りたいことたち①

今も 時々思い出すシーン。 美しい色の ブロッコリー🥦 親戚から送られて来た採りたて野菜の中に入っていた鮮やかな緑色のブロッコリー🥦 茎の薄いグリーンや 花の周辺のグリーンのグラデーションに、父は、『きれいなぁ』 と、関西弁のイントネーションで 静かにささやき、 『これ、あとで描きたいから 置いといてね。』 と言っていた。 父の机の上はいつも いつでも すぐに絵が描けるようになっていて、 そして いつも 気が向くと 描いていた。 きっと小さい頃から、ずっとそうやって

    • 川瀬武士物語を日めくりカレンダーにしました🗓

       川瀬武士 作品で綴る日めくりカレンダーを作りました🗓 三回忌に寄せて、まずは、なにか 作りたいと思っていて、 毎日 日替わりで見ていただける日めくりカレンダーを作ることにしました。 父・川瀬武士のたくさんの可愛い絵や風景画や、年賀状や色紙などに描かれた作品の中から 31日分の作品を選びました🎨 日めくりが、A5サイズ正方形に近いサイズなので、大きな作品を縮小するより、最初から 小作品を選びつつ、パソコンで編集しながら ああでもない こうでもない… 時々 母に見てもらい

      • '91 川瀬武士作品: 懐かCM〜ロッテガム CMソング《蒙古草原物語》

        かつてCMは、時代を作り、時代を動かしていた。 中でも CMソングの存在は とても大きく、商品と音楽の組み合わせがヒットの鍵であり、レコード会社とのタイアップも壮絶な競争で、勝ち残るために空どれほどの力が働いていたことか計り知れない。 春や秋に口紅などの新製品が発売になる化粧品会社や、新車のCM、ウイスキーやビール🍺、清涼飲料水、インスタントラーメン…… 季節ごとに 新しい製品のCMソングが注目されて、その曲は必ず大ヒットするという構図が出来ていて 今よりずーっと テレビコ

        • 🎤人生初のスタジオ体験は、神田錦町の博報堂旧本社のスタジオだった

          あまりの音の大きさに、飛び上がってしまった❣️ それが、私(川瀬なな子)の スタジオ初体験でした。 4〜5歳ぐらいの ある日。 母が出かけていたのか…理由はなんだかわからないけど、 父に連れられて  当時 神田錦町にあった、博報堂本社にあるスタジオに行きました。 コメットさんという人気番組に主演されたり、1960年代の、アメリカンポップスを日本語で歌ったりしていた人気女優の九重祐美子さんがナレーションを収録するMA。 フイルムの時代でしたから、今より断然 時間も

          娘・川瀬なな子のこと

          東京出身。日本大学 芸術学部 放送学科卒業。 秋田テレビアナウンサーを経て フリーアナウンサー、朗読家。 フリー後の主な番組 🎤NHKで5年、🎤FM東京で13年、 🎤FM江戸川で20年、パーソナリティとして 生放送を担当。 アナウンスだけなく構成・選曲にも関わる。 国連会議の司会進行、警察のイベントセレモニー司会。また専門学校にて ビジネスマナーの授業を担当。 報道・音楽番組・対談・ナレーション・司会など、様々な現場を通して実績を積み上げていく。 また放送と並行して

          娘・川瀬なな子のこと

          ザ・70年代✨サイケ調CM〜不二家 LOOKチョコレート🍫

          1970年代は ファッションもサイケデリックでステキな時代でした✨⭐️ グループサウンズが隆盛を極めていた時代❣️ この不二家のLOOKチョコレートのTVCMも 当時たいへん話題になり、商品も大ヒット✨✨✨ 父・川瀬武士、部下だった 中司さん、イラストの田名網敬一さんなど、子どもだった私にも 懐かしい方々です。 ちなみに 音楽は、すぎやまこういち、 歌は 布施明 このLOOKチョコレートのCMは、アメリカのCMクリオアワードの国際部門で グラフィックデザイン大賞、

          ザ・70年代✨サイケ調CM〜不二家 LOOKチョコレート🍫

          1970年代のCM制作チーム

          ある時、父や仕事の同僚の面々が、帝国ホテルに缶詰になって 川瀬チームでプレゼン資料とか作ったりしてたのか、なにか詰めて仕事をしていた時、 私は中学ぐらいだったと思うけど、 『もう ホテルの食事や外食や、ルームサービスにも飽きたから、🍙おむすびを持って来て』と母に連絡があり、 10人分ぐらいだったのか…50個とか100個とか、かなりの量を母が作って、母はタクワンもベランダで一斗樽で漬けていたので、おしんこもすごくたくさん持って、届けたことがあった。すごい荷物を、夕方 母と私で

          1970年代のCM制作チーム

          👩‍🍳"関西びいきなクッキング・パパ"

          日曜日は 父 がごはんを作ることが多かった。 関西人は、肉と言えば 牛肉。 父は すき焼きが好きで 月四回の日曜日のうち、1〜2回はすき焼きだったような。。。 大きな丸い鉄鍋や中華鍋を使っての 関西風のすき焼き。 割下を使わない、もう すべて出来上がった状態で、食卓で、家族揃って それぞれ卵につけて食べる。 懐かしい。 味の記憶⭐️ あと一度でいいから 食べたかった。 父のすき焼き。 そんなことを思う日が来るなんて、思ってもいなかった。 うちは 家族で外食をする

          👩‍🍳"関西びいきなクッキング・パパ"

          たこ焼き屋のおっちゃんと タコの人生🐙

          《武士と、姉・昭子の着眼点の違い》 幼い頃、姉・昭子と 武士が たこ焼き屋の屋台で たこ焼きを食べていた時のエピソード。 多分 八尾にいた頃のことだと思う。 これは、伯母・昭子から聞いた話 🐙 たこ焼き屋の屋台で 二人座って たこ焼きを食べながら、二人は何を考えていたのか。 ジーっと 焼き上がるのを見ながら 二人は 別のことを考えていたそうだ。 姉・昭子は、たこ焼き屋のおっちゃんのし人生を考えていた。 このおっちゃんは、どういう経緯で、今、ここで、たこ焼きを作って

          たこ焼き屋のおっちゃんと タコの人生🐙

          『優しいとは許すこと』川瀬武士は かく語りき

          《優しいとは許すこと》 中学生の頃だったか、 ふとしたきっかけに、父がその言葉をくれた。 その言葉を聞いた時、はっとした気がする。 その時から何十年を経た今も その言葉は 折に触れて牛のように反芻されている🐮 父はその瞬間、なぜ私に この言葉を伝えようと思ったのだろう。 と言うより、父の声を通して 神様がくれた言葉だったのかもしれない。 でも 詩人らしい 父らしい言葉だ。 肉眼でものを見ると同時に 心眼でも観る。 第三の眼なのかもしれない。 川瀬家の皇太子さんや

          『優しいとは許すこと』川瀬武士は かく語りき

          "♪♪スカッとさわやかCocaコーラ♪♪"を作った男〜川瀬武士の成り立ち

          川瀬武士 プロフィール 大阪出身 昭和7年11月3日 文化の日に生まれる 平成30年12月8日 天命を全うし、星になる🌟 天国での名前は 『釈 星欄』 幼いころから漫画を描いたり 絵を描いたり。 京都市立美大にて さらに学ぶ 漫画家 作詞家 広告マン 釣り師🐟 博報堂クリエイティブ・ディレクター ♪スカッとさわやかコカコーラ♪ ♪酢はスタミナの酢 酢はミツカン酢♪♪ 数々のコマーシャルコピーを始め 佐藤製薬の サトちゃん 伝六マメの クマちゃん やまじる

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