【指導者になろうと思ったきっかけの話】-スーパーハンデを抱えて挑んだマンU戦記-
今からちょうど1年前に毎年セマナサンタという祝日に行われるMICというスペインで開催される国際大会に出場したときの話です。
自分の仕事は大会に参加するために日本からやってきた子供たちのアテンドと試合中の指揮を執ること。
受け持ったチームはみんな住んでいる地域もばらばらで各セレクション会場で選抜されてきた子供たち。
そのため、お互い空港で初めて顔を合わすというかなりカオスな状態です。
(団体でのサッカー留学の案件ではしばしばこのように日本で事前に大会に参加するためのセレクションを各地域で行い選抜チームを作って出場するという形式をよく用いる)
そんなこんなで寄せ集めのチームの指揮を執ることになったのですが、長距離の移動、時差ボケ、慣れない食事、おまけに寄せ集めでチームとしての熟練度はゼロというスーパーハンデを抱えた状態で臨んだ大会で奇跡的に予選突破し、マンチェスターユナイテッドの下部組織と対戦することになりました。
マンUにはもちろん負けました。
スコアは0-2と子供たちがかなり奮闘してくれたと思います。
自分と同じぐらいの背丈を有する反則級の筋肉マシーンがセンターバックに置かれ(あれは絶対12歳じゃない、俺は信じない)、最後まで彼らの牙城を崩すことができなかったのです。
相手はスタッフが6人ほどいて全員マンUのジャージを着ており、自分は横のベンチで一人負けじとシメオネばりに声を出してました。
そのときに指導者の知識と経験があればもっと良い勝負できてたかも。
そして予選で勝利したときの快感が指導者の勉強を始めてみようと思うきっかけになりました。
確か昔、両親に『自分は選手に怒れるような性格じゃないから指導者は無理だよ』、と。
また是永さんに進路相談で指導者はどうなの?と聞かれたときに『自分は知識も才能もないので指導者は無理です』と言った記憶があります。
おそらく自分でも心にもないことを言った自覚があったからこそこんなこと覚えてるんだと思います。
選手に怒る必要はないし、知識は身につければいいし、才能はこれからわかることです。
自分の最終的な目標は在日のサッカー界に貢献することです。
指導者として貢献できるかどうかはまだわかりませんが、
やれるとこまでやってみるつもりです。
おわり。
今日の気になる時事、
『実写版 浦安鉄筋家族 新キャスト発表!プロレス界からアジャコング、真壁刀義、大仁田厚のパワー系3人衆が参戦。待望されるアントニオ猪木の参戦も秒読みか』
良ければフォローとスキよろしくお願いします。
要望があったので、
おまけ、
『食べたドングリの蓄えが甘かったことに冬眠中気付くクマ』