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はじめてみます。

んーと。
Twitterなんかでお世話になっている方は、いつもどうも、こんにちは。
初めましての方は、はじめまして。
瀬音ねむと申します。

って、全然知らんでくる人はいないか。
どうも。いつもお世話になってます。

日々思ったことを頭の中に溜めておくのがしんどくなって、去年の秋に日記を書き始めてからしばらく。約3ヶ月に渡って、TwitterのTL上に日記を載せ、皆様のお目にかけることで続けて参ったのですが。
強制的に皆様の目に触れるものにネガティブなことを書くのはよろしくない、と考え直して、去年末をもって日記の公開を取りやめました。
みんな生きるのに精一杯なのに、人の愚痴まで聞きたくないもんね、って思って。

が、しかし。

人間面白いもので、やっぱり誰の目にも触れないところに、自分の思考を閉じ込めておけないようなのです。
正直、私は生きるのに向いてません。
前向きな考え方しなよ〜とか言われても、素で鼻で笑ってしまう可愛げのない人間です。
ちなみに、私の前にあるのは、いつか来る死だけです。前向きになることになんの価値があるのか。

でも、時々考えるのです。
どんなにくだらないことでも、誰かの目に触れて、その中にもしかしたら「自分もそう思う」という方がいるかもしれない…と。
そうして、実際には一切何も交わさなくても、私たちが抱える、切なさのようなものを、分け合える可能性を感じることができたら…と。
そんな、天文学的にありえなさそうな、けれども宇宙が生まれた偶然くらいの確率ではありえなくもなさそうな奇跡を期待して、noteを利用してみることにしました。
これなら、見たくない方は見なくて済み、かつ、見たい方だけが覗いてくださるに違いないのではないかと。それなら私も、心置きなくあれもこれも書けるのではないか、というわけです。

そんなわけですので、私の記事は、あなた様の貴重なお時間を割いてお読みいただいても一円の価値もないような、いや、むしろ損が出るかもしれないような、自由気ままな、多分にネガティブなものになるんじゃないかと思います。そもそも根暗なんで、私。
ですから、どうぞ、無理にお付き合い頂きませんように。お気遣いはいりません。
ハートとかフォローとかの数、全然気にしません。
書きたいだけなので、書きたいように書きます。それだけです。

でも、もし。

もし、この世界のどこかに、ほんの少しでもこの哀しさを分け合える人がいらっしゃいましたなら、そんなどなたかと、巡り合うことができるとしたら。
私のささやかな生活のなかに、それに勝る喜びはありません。

もし、もし。
聞こえてなくても、構いません。

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