新潮45をこえていこう
『新潮45』の休刊について、言いたいことがあったけれど、ちょっと落ち着いてからにしようと思っていた。
記事の中身や編集部の方針、そして休刊の是非については、ネットでも雑誌でもいろんな意見があふれている。ぼくも同意見、というより、目を開かせられる論考もいくつもあったので、いまさら触れるつもりはない。
書きたかったのは、新潮45編集部をはじめとする新潮社の編集者仲間へのメッセージだ。そこで、今回、noteをはじめてみた(それぞれの人と飲み屋で話せばいいのだけれど、しばらく禁酒中なのでできないということで許してください)。
あくまで編集者同士のうちわの話なので、騒ぎがおさまって世の中の関心が新潮45から離れたころに書きたかった。編集という仕事にとっての暗黙知のない、しかもそれぞれの正義感でいきりたった人が読んでも納得するように記述するのは、それはそれで大切なことだけれど、説明過多でまどろこしくって、結局、真意が伝わらないだろう。世間の人が新潮45のことなどを忘れるのを待っていた。
それで、いまごろ何を伝えたいのかっていうと、「楽しみにしてますよ」ってことだ。
反省や後悔もあるだろうし、あるいは会社や世の中に対して言えない不満だってあるだろう。消化しきれない複雑な気持ちを抱えていると思う。それを踏まえた、新しいアクションを期待している。いい記事を作って欲しい。新しいメディアもいいかもしれない。それを楽しみにしている。
ぼく自身の転機も、『月刊現代』の休刊だった。月刊現代だけではなく、『諸君』や『論座』やあるいは『月刊プレイボーイ』(開高健さん以来の伝統で、いいノンフィクションを載せていた)が次々休刊になっていったころだ。
このままいくと、雑誌ではおカネと時間のかかる取材はできなくなるんじゃないか。次の時代のためにちゃんとした取材記事をつくる仕組みを立ち上げないといけない。ーーそう考えて、デジタルメディアをつくることにした。それは大きな転機になった。同時に、そのときの思いは、ライフワークとしていまも変わっていない。
今度は、新潮45をこえてどんな動きが出てくるのだろうか。
驚くような記事なのか、斬新な切り口の雑誌なのか、それとも新しいメディアなのか。あるいはそんな枠組みをジャンプするような動きなのか。それこそが辣腕編集者としての腕の見せ所だ。その武器は、編集力であり、企画力であり、人脈であり、あるいは修羅場を乗り越える精神力であり、みんながそれを持っていることはよく知っている。
今回、いくつもの課題に直面した。それを解決するような新しい動きを、楽しみに待っている。
とっても、とっても期待している。
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