思考の根源である「概念」について〜中学生からの論理学入門 付録
私たち外界を認識するとき、みな意識せずともそれを体系的に行っている。
顔を上げて周りを見渡してみてほしい。何が見えるだろうか。筆者は今、郊外の喫茶店でこの記事を書いている。窓の外には「街路樹」「山を覆う木々」「道路を行き交うたくさんの車」など様々なものが見える。実はこの時点で私たちは体系的に外界を捉えている。
生まれたての赤ちゃんが同じ景色を見たらどう感じるだろう? 葉が茶色くなって落ちてしまった落葉樹と、緑に包まれた常緑樹を同じ「木」であると認識するだろうか。1台1台形状が異なる「車」を同じと認識するだろうか? さらに言うと、私たちが今立っているこの地球と空に輝く太陽を同じ「星」だと認識するだろうか?
おそらく、同じとは認識しないだろう。
私たちはこれまでの経験と知識に基づいて、無意識に世界をカテゴライズして体系化して認識しているのだ。
このカテゴライズされた言葉である「木」や「車」のことを概念と呼ぶ。私たちは外界を体系的に認識できるのはこの概念があるからだ。そして、概念こそが人間の体系的な思考の第一歩なのだ。
ボクシングには蹴り技がある?
これは『バキ』25巻からの引用である。これを読んで「ボクシングには蹴り技があるのか!」と思った人はいるだろうか? 高校生の頃の僕は思った。
でもこれははっきり言って誤魔化しだ(だからこそ面白いのだが)。
「蹴り」という概念の意味が途中で変わっているのだ。
「蹴り」という概念は、図1,2では「相手に足で直接ダメージを与える技」という意味で使われていたのが、図3では「スポーツにおける動き」という意味に変わっている。
バキ作者にまんまと騙されて、相手を蹴って反則負けになってしまうボクサーを一人でも減らすため、この記事では概念についてじっくりと説明する。
概念とは何か?
概念とは一言でいうと「あるモノを他から区別するための名称」のことだ。
モノといっても「木」や「車」などの事実を示すものだけではない。「大きい」や「重い」といった性質を示すものや「停止」や「拡大」といった状態を示すものもある。
わたしたちの思考は、このような概念と概念の関係を示した文章の組み合わせである。
例えば「思考は、概念と概念の関係を示す」は「言葉・思考」という概念と「概念と概念の関係」「示す」という概念の関係を述べた文章である。
詳しくはこちらの記事で解説している。
概念を正確に捉えないと正しさは保障されない
この記事で論理的であるためには、
1.推論形式が正しい
2.前提が真
である必要であると述べた。
ここで、2の「前提が真」であることを見極めるには概念を正確に捉えている必要がある。
例えば、「高校教師は高校生を教えている」は正しいが、「高校教師は人格者だ」と言ったら論理的には間違いになる(高校教師であっても人格者でない人も中にはいるだろう)。一方で、「高校教師は人格者かもしれない」ならば正しい。
これは「高校教師」「人格者」「かもしれない」という概念を正確に捉えていないとわからないことである。
適用範囲
概念はある単一の、個々のモノだけを指していない。例えば「リンゴ」という概念は、個々のモノである"リンゴ"を包んだリンゴ全体を表している。
また、当然"バナナ"や"ブドウ"はリンゴに含まれない。すなわちリンゴという概念には適用範囲がある。この適用範囲のことを概念の外延とよぶ。
リンゴはリンゴに決まっておろうが! バナナはリンゴじゃないとか何を当たり前のことを言っとるんだ!? と思った方。もう少し話を聞いて欲しい。
当たり前に聞こえるのは「リンゴ」という例が簡単なだけである。これがもう少し抽象的な概念である「甘い」になるとどうだろう? 例えば"白米"は「甘い」に含まれるだろうか?
リンゴも腐ったものはどうだろう? 少し柔らかくなったくらいならリンゴだろうが、腐敗して原型をとどめなくなったらそれはリンゴと言えるだろうか?
このように概念の適用範囲というのは案外やっかいで、しっかりと意識しなければならない。気をつけないと議論が成り立たなくなってしまう。
例えば、以下のようなやりとりは日々起きていそうだ。
これは「まで」という概念に木曜日は含まれるか否かがAとBとで食い違ってしまったために起きた悲劇だ。
含まれる性質
また、リンゴ(概念)は「フルーツ」とか「丸い」とか様々な性質が含まれる(これらの性質もまた概念である)。これらの性質は、リンゴ(概念)に含まれる個々の"リンゴ"全てに共通している。この共通した性質全体のことを概念の内包とよぶ。
「皮ごと食べられる」という性質はリンゴが含む性質であるが「赤い」という性質は"リンゴ"全てに共通するものではない。緑色の品種(王林など)が存在するためだ。もちろん「動物」とか「モテる」とかもリンゴが含む性質ではない(注1)。
概念に含まれる性質(意味)を間違えると会話が成り立たなくなる。
Aは「(甲子園に)行く」という概念を「選手として出場する」という意味で使っているが、Bは単に「訪問する」という意味で使っているため、会話が噛み合っていない。
冒頭のバキの例も同じだ。概念(「蹴る」)の意味が変化するパターンだ。
ベン図
概念の「適用範囲」と「含まれる性質」は論理学を学ぶ上で常に意識する必要がある基本中の基本だ。意識するための最もおすすめな方法は図示してしまうことだ。図5にリンゴの適用範囲と含まれる性質を図示する。このような図をベン図という。論理的にしっかりと考えたいときは、めんどくさがらずにベン図を書いてみると良いだろう。
抽象的概念と具体的概念
世の中には人間が作り出したたくさんの概念があるが、特定の概念は別の概念との関係によって分類される。
重要な概念の種別として、抽象的概念と具体的概念がある。フルーツとリンゴの関係がそれにあたる。上位概念と下位概念ともよばれる。
抽象的概念は具体的概念よりも適用範囲が広く、含まれる性質が少ない。リンゴとフルーツの関係を考えると「丸い」とか「皮ごと食べられる」といった性質はリンゴ特有で、フルーツ全体にはない。一方「甘い」というフルーツの性質はリンゴも持っている。
抽象的概念は、具体的概念からいくつかの性質を捨て去ったものだと言える。この性質を捨てることを捨象という。捨象することは特定の性質だけを選び取ることとも言え、これを抽象という。
捨象と抽象については以下を参照してほしい。
概念と定義
リンゴを知らない人に「リンゴって何?」と聞かれたらどうすればよいか? その時に説明するのがリンゴの定義である。もしくは辞書で「リンゴ」を調べたときに書いてある説明文が定義である。
概念の定義は、他の概念から一意に区別できるようなものでなければならない。例えば「食べられて甘いやつ」だとバナナも含んでしまうので不十分である。「食べられて甘くて皮ごと食べられて……」と十分かつ最低限の説明が求められる。
概念が食い違うと議論ができない
適用範囲の齟齬による誤り
概念における誤りは、その適用範囲に齟齬が起きることで起きる。
これは実際にネット上で見かけたやりとりだ。
概念の適用範囲は必ずしも明確にピタリと線引きできるものではない。むしろ曖昧なことがほとんどだ。「『子供』と『大人』」や「『紫色』と『青色』」などは良い例だ。概念が抽象的になるほど、適用範囲の誤りが起きやすい。「独裁」とか「国益」などの概念はよく曖昧なまま使われているのを見かける。「『国益』を『損なう』」と言ったとき、それは一体どこの誰の何がどうなることを意味しているのか、議論する上ではお互いの認識を一致させる必要がある。
ダイエットを成功させる方法
このような誤りにおちいらない方法はズバリ、定義を明確にすることである。定義を明確にしておくことで、判断がきっちりする。なるべく定義が明確な概念を使うという言い方もできる。
AさんとCさんのダイエット成否を分けたのは、ルールすなわち概念の明確さである。
Aさんの「脂っこいもの」というルールは曖昧すぎてどんな食べ物がOKなのかよくわからなくなってしまい、途中からルールが形骸化してしまった。一方、Cさんのルールは明確だったのでダイエット中ずっと有効に機能し続けたというわけだ。
このように、明確な概念を使うことは目的達成のためにとても役に立つ。
概念とは何かを理解し、誤りを起こさないようにその適用範囲と含まれる性質を明確にして使おう。
参考文献
鯵坂真、梅林誠爾、有尾善繁(1987)『論理学―思考の法則と科学の方法』世界思想社
第2章「伝統的形式論理学」
次回:定言判断
補足
概念間の関係
様々な概念を挙げてその性質について説明してきたが、概念と概念には以下4つの関係があるのでここで整理しておこう。
等置関係
同一の対象を示す異なった概念のあいだの関係である。「四角形」と「四辺形」、「果物」と「フルーツ」などがこの関係に該当する。従属関係
一方の概念の適用範囲が、もう一方に完全に含まれているケースである。「フルーツ」と「リンゴ」の関係がこれにあたる。包んでいるほうの概念を上位概念または抽象的概念、包まれているほうの概念を下位概念または具体的概念とよぶ。交差関係
2つの概念の適用範囲が部分的に重なり合っているケースである。「リンゴ」と「赤いもの」がこれにあたる。相互排斥関係
2つの概念の適用範囲に重なりが全くないケースがこれにあたる。「リンゴ」と「バナナ」がこれにあたる。
繰り返すが、概念間の関係は必ずこの4つのいずれかになっている。図5を見ながら関係性を確認してほしい。
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