桜の蕾の頃に
voicyでは何度か話しているけれど、僕は俳句が好き。「余韻」「余白」というものを最大限に楽しむことができる芸術だから。そして桜も同じ芸術性を共有していると思う。満開の時よりも、以下の写真のような、まだ大半が蕾の頃の桜を好きなのは、その「余白」が最大化されるからだろう。
ここからは、2022年。次男は妻のお腹の中。
余白しかないような桜は、だからこそ、多くを訴えてくる。
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