人生に鼻を添えて
僕は鼻が悪い。だから鼻が詰まりやすい。呼吸が浅いから睡眠も浅い。目やにも出やすいし、風邪もひきやすい。子供を作ることを若い頃にずっと躊躇していた理由の1つは、僕のそういう体の弱さだ。
「耳鼻科」というくらいで、耳にも影響があると思われ、子供の頃は車酔いが激しく、遠足のバスではいつも前の方が指定席だったほどに三半規管も弱い。今も、車の中で文字を読むとあっという間に車酔いをする。母ちゃんはいくら読んでも一切車酔いしない。助手席で読み放題だ。贅沢なものだ。
そんな鼻のせいで、気づかないところで人にスメハラをしたことは一度や二度ではないと思われる。大学時代、塾講師のバイトをしていて、早めの時間に一番乗りで教室に入り、持ち込んだ吉野家の牛丼を頬張っていたところで、やってきた講師仲間の女子に「匂いが強いものはここでは食べない方がいいかもね」と言わせたことは本当に申し訳なかったと思っている。
こんな鼻だからなのか分からないが、僕はたぶん「匂いフェチ」の部類だと思う。横浜のみなとみらいはランドマークタワーの3F部分、主にオフィス勤務の人たちが使うエレベータホールは、いつも同じ香水の香りがする。桜木町駅から動く歩道経由でランドマークタワーに入るのに、そのホールに入る必要性はないが、頻繁にみなとみらいに行っていた学生時代は、必ずそのホールからタワーに入るようにしていた。
トップの写真は、僕が「青森ひば」のまな板の匂いを無心で嗅いでいるところである。母ちゃんがお料理系のインスタアカウントを始めたということで、お義母さんがプレゼントしてくれたものなのだが、あまりにいい香りなので「匂いが弱くなるまで使わないでリビングに置いておいても良い?」と母ちゃんに図々しくお願いし、了承を得たものである。
新築の家がこんな香りじゃなかったかなと思いつつ、肺の奥までその香りを吸い込む毎日だ。あと3週間程度は頑張ってほしいと願っている。
この鼻は、はっきりした匂いのものでないと気づけないし、楽しめない。「金木犀の香り」なるものを認識したのも、成人してからだった。
日常生活で、青森ひば以外で、この煮え切らない鼻を楽しませてくれる匂いが、入浴剤の「バブ」と「仙豆の頭」だ。
仙豆とお風呂に入る時は、まず仙豆が、数種類ある中から、その日のバブを選び、それは嬉しそうにバスタブに放り投げる。それが水面に触れるか触れないかのタイミングで、僕はドアをバチンと閉める。バブの香りで浴室を満したいからだ。そうして頃合いを見計らって、早く入れと母ちゃんに叱られないギリギリのタイミングで、息子と浴室に突入。
仙豆はひとりでバスタブに入るのがまだ怖いらしいので、僕が先に入って座る。すると仙豆は当然のように僕の膝の上に後ろ向きで座ってくる。仙豆の頭が僕の鼻のすぐそばにくる。一日分の仙豆の匂いが頭からただよってくる。
悪く言えば「体臭」なのだろうけれど、僕にしてみれば、一日を健康的に過ごした3歳児の、純朴な匂いである。大事に育てていることへの勲章みたいなものだ。「いい匂い」と言い切れるような代物ではないけれど、「浴室の湿度」と「入浴剤バブ」と「親心」が、匂いのカドを取っているとも思われる。嗅ぐべき匂い、なのである。
将来は間違いなく、子供たちから「親父、くせえ」と思われることになる。しかしそれは「親離れ」をするための正常な生理的成長の証らしい。もし直接「くせえ」と言われたら、「鼻が悪くて子供を作らないことも考えたけど、ちゃんと臭いものは臭いと分かる鼻なようで良かった」と話したい。「ただ、次からはもう少し優しく言ってね」ともお願いしつつ。
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