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泳げカレーパン!

私はカレーパン

あのとき私はカレーパンだった。

そんなことを、先日訪れた名古屋の大須地区(古着で有名)で、古着屋という古着屋を上気した顔で練り歩いていた私は、何ベーカリーか忘れてしまったが、よさげな店の店頭にあるカレーパンを見て思い出したのだ。

なんせ小さかったころの記憶なので、何かの拍子に全部忘れてしまいそうだから、今書き記しておく。


屈辱の「伏し浮き」

子供のころ、小学校の3年生までは一切泳げなかった。
水が怖かったのである。溺れた経験はないが、足のつかない状況を大層怖がり、なんやかんやで水泳教室へ通うことになった。
特段自分の意志ではなかったが、行かないわけにもいかなかった。

そもそも、最初に通ったその小学校は公立ながらスポーツに力を入れており、プールは大と小の二種類、大プールに至っては小さな飛び込み台まであった。学年を問わず帽子によるレベル分けがあり、白の線なしから黒の三本線まで、色とりどりに7段階もあったと記憶している。

もちろん泳げない私は白の線なし帽をかぶり、線なしとして小さく生きていた。

ある時保護者が来る水泳大会があり、各レベルの生徒がやれ平泳ぎだクロールだ、個人メドレーだとタイムを競い合うのだが、何せこちらは白の線なし、やることがない。

「(白の線なしは)伏し浮きをしよう」と先生。伏し浮きというのはその名の通り、プールの水面に顔をつけて、ただ浮くというものである。初めに聞いた際は聞き間違えて「牛浮き」だと思っており、既に恥ずかしかった。
しかし、私はこれすらできなかった。

「次は白帽さんの伏し浮きです」地獄のようなアナウンスが聞こえ、われら3人の白帽は水面に顔をつけて、ただ浮く…怖い!

すぐに立ち上がると保護者席からは笑い声がした。多分可愛らしいなというニュアンスであったろうその笑い声を聞き、また水面を見て、私はみじめに思った。小1の夏である。

光り輝くメロンパン

水泳教室はそこそこ楽しかった。ビート板なら怖くなかったし、前に進む感覚もよかった。何年か後、いつかは水面に顔をつけて…という、壮大な計画だった。

本当に頑張っていたので、終わるころにはおなかも減っていた。17時だか19時だか、外はすっかり暗く、私たちは教室のバスの待合室で事務の人が売っている軽食を好んで食べた。

人気だったのはメロンパン。メロンパンを食えるのは成績が良く着替えが早く、自信がある奴らという偏見があった。自分が行く頃にはほとんどのパンが売り切れ、買える物といえばホットスナックコーナーで売れ残っている、シワシワにしょぼくれたカレーパンしかなかった。

「結局カレーパンかよー」とかなんとか言って、噛むと脂が水のように口に広がる、いつものまずい味がする生地をムッチムッチと食う。まずいが、腹持ちはいいので悪くはなかった。中のカレーはそこそこ美味しかった。


3年生になったある時急に、水面に顔をつけても大丈夫になった。大進歩、大進化である。うれしかった。理由はわからないけど、プールのフチを歩く練習をしていた時パチャっと顔をつけてみたら、できたのである。

それからはすぐに平泳ぎ、クロール、背泳ぎ、折り返し地点でくるっと回るやつ、バタフライもできるようになっていたと思う。楽しい。
ついに自信がついたのだ。

でもまだ着替えにモタモタしているものだから、私は相変わらずまずいカレーパンを食べていた。

記録会の日

二階の保護者席、母親がこちらを見てニコニコしている。
「だって大丈夫だもん」訳の分からない自信を胸に、自分は平泳ぎと、背泳ぎを切り替える個人メドレーの半分みたいな種目に出ていた。

まずは平泳ぎ、とてもいい。ターンして背泳ぎ、これも悪くない。
メロンパンの泳ぎ!

しかし、天井がゆっくり動くさまはいつ見ても面白いなと、いつもののんびりした気持ちがつい出てしまい、コースロープに手が引っかかりゴールタッチも遅れ、記録はよくなかった。

まあ、こんなもんだろう。大した努力をしていないから、こういう結果になるのだ、努力が足りなかった、そうそう、今回は頑張ったほうだ。

マントみたいなバスタオルをかぶり、着替えをする。疲れた体はヒタヒタしていて、いつもの水泳後だった。そしてやはり身支度に時間がかかっていた。

おなかがすいた

パンを買いに行こう。どうせメロンパンなんて置いてないんだろうな。わかってるわかってる。でもね、僕は頑張ったんだよ、平泳ぎの時点ではよかったんだし。

私はスロープで降りれるところをわざとジャンプしたりして、水泳道具が入ったビニールの袋を持ってはしゃぎ、一階まで下りた。

カレーパンはなかった。

あの、脂のまずいカレーパンが、である。私は焦った。
「パンは全部売り切れちゃったの」事務の人がいう。握りしめた200円をポケットにしまい、私は待合室の、選手コースの人がもらえるバッジが置いてあるところとトイレの前をウロチョロしていた。何せ、いつものカレーパンがないのだ。

カレーパンがないのだ!

見に来ていた母が迎えに来る頃には待合室も閑散としており、事務の人がいた場所は半分暗くなっていた。

「どうしたの~?」と母。立ったままボロボロ泣いていた私を抱きしめると母は頭を撫でた。わけの分からない涙に自分でも驚いていたように思う。それでその日は終わった。

最近胃がもたれて

今でもカレーパンを見る。見るが、食べたい!とはならない。きっと脂が多いんだろうなとか、結局いつもの味で、手が衣で汚くなるんだろうなとか、いろいろ理由をつけて、こちらも結局いつもの味がするであろう隣のベーコンエピやらイチジクとクルミのパンを買う。

あとで聞いたが、母親は、当時過熱していた未就学児のスポーツ競争に我が子を突っ込むのはよくないと考えており、むりやり何かに通わせることはしない方針だったそうだ。通りで小1なのにみんなバリバリ泳げたわけである。

となると、あの水泳教室は自分が行きたいと言い出したのか。
よく頑張ってたな俺。

メロンパン買いに行こう。

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