新お笑い論⑦ フィクションから、ノンフィクション、そしてフィクションへ
さて、前回のブログでは、東浩紀の『動物化するポストモダン』を取り上げて、その概要をまとめてみた。お笑いの消費者がどのように変質したのか。お笑い第五世代の消費者を説明する上で、欠かせない内容だと思っている。それを前提として、話を進めていきたいと思うので、前回のブログを読んでいない方は一読後に以下を読み進めて欲しい。
フィクションから、ノンフィクション、そしてフィクションへ
高田文夫は、著書「笑芸論」の中で、山本章二宗匠の以下の発言を引用し、当時の漫才ブームを分析している。その言葉とは「漫才がフィクションから、ノンフィクションに変わった」という内容である。
どういうことかというと、それ以前のネタの題材は、空想的で非現実的なものであったが、漫才ブームを境に、現実を観察したり、日常の出来事を題材にしたネタに変わったというのである。確かに、B&Bのご当地漫才であったり、ツービートや紳助竜介の風刺のきいたネタであったり、社会を滑稽に茶化す批評性のあるネタが多かったように思う。
それから数年後、ノンフィクション性の強いネタは陰りを見せはじめ、再度フィクション性の強いネタへと回帰することになる。それは、松本人志の登場が深く関係している。松本人志の笑いは、それこそ空想的で非現実的な設定が多く、シュール性の強いネタが多用されていた。それは一見すると、フィクションへと逆戻りしているように思うが、漫才ブーム以前のフィクション性と一味違う点を挙げるならば、前回のブログで説明した虚構という概念が深く関係してくるのである。山本章二宗匠の言葉を借りるならば、「ノンフィクションから、フィクション=虚構に変わった」ということである。
まんが・アニメ的リアリズム
さて、ここで引用したい概念が、大塚英志の「まんが・アニメ的リアリズム」という概念である。まんが・アニメ的リアリズムとは、「アニメやコミックという世界の中に存在する虚構を「写生」する」ことで作られた作品と定義されている。松本人志以後の笑いは、その虚構を前提として、ネタを作り上げていると思う。つまり虚構の中にあるイメージや共有されている価値観をもとに、それを面白可笑しく写生することで、笑いのネタにしているのである。
逆に漫才ブーム以前は、虚構を共有していないため、写生する対象となるのは現実ということになる。大塚英志は「まんが・アニメ的リアリズム」に対して、現実を写生した作品を「自然主義的リアリズム」と呼んでいる。漫才ブーム以前にもフィクションのネタは存在したが、それらはあくまでも現実を前提として作られており、現実の否定としてのファンタジー(フィクション)ということである。
大塚は、「まんが・アニメ的リアリズム」の契機を1970年代後半としている。その詳細については省略させていただくが、大塚が注目したのはSF作家である新井素子である。「『ルパン三世』の活字版を書きたかった」という新井の発言を参照し、「近代日本の小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み込んでしまった」と説明している。
どういうことかというと、それまでは現実を描いたり、現実の否定とした物語(ファンタジー)を描くことが一般的であったが、新井は存在するアニメの世界観を写実することで、つまり原典となる創作物を利用して二次的に創作した小説として成立させてしまった。それはいわゆる二次創作だといえるが、当時はそのような試み珍しく、そういった発想自体が新しい試みであった。
新井が生まれたのは、団塊世代と団塊ジュニア世代のちょうど中間に位置する世代である。いわゆる、しらけ世代と呼ばれており、1950年から1964年まで位置づけられている。新井は後期しらけ世代の生まれであり、オタクの第一世代(1960年代生まれ)と符合するのである。偶然にも、松本人志が生まれたのは1963年であり、まさにオタクの第一世代といえる。新井と同様に、虚構を前提とした世界観を共有している世代といえる。同時期に彼らのような発想をするものが多発的に発生したのは、極めて重要なファクターであるだろう。
繰り返しになるが、かつては、ライトノベル以外の小説は、自然主義的リアリズムと呼ばれる現実を写生した手法で作品を創作していた。しかし、まんがやアニメが娯楽の中心となり、浸透することで、虚構という世界が共有され始めたのである。その共有された虚構を写実し、作られた作品を総じて、まんが・アニメ的リアリズムと呼ばれるようになった。そしてそれが後に二次創作と呼ばれるようになる。
それらを踏まえてお笑い自体に関連させると、時代にずれはあるにせよ、漫才ブーム以前は、まさに自然主義的リアリズが重要とされていた時代であり、現実の出来事自体がネタを作るための材料となっていたのである。それは風刺として、社会で共有されていた物語を前提としたネタとして成立していたのである。
その後、オタク第一世代と呼ばれる虚構ネイティブの人々が登場したことで、虚構を前提としたネタが量産されていくのである。この笑い(虚構を前提とした笑い)を受け入れられるか否か、世代によって消費のされ方は違ってくる。松本人志の上の世代が、松本人志の笑いを受け入れられない理由はその点が深く関係している。それは虚構を前提としていないため、面白さが共感できないのである。少なからぬその虚構を共有している人であれば、松本人志以降の笑いをお菓子味として受け入れられるということである。
松本人志が作り出した笑いが受け入れられ、評価されるようになったのは、前述した内容が関係している。松本人志自身が虚構ネイティブだったからこそ、虚構を写実した笑いを生み出すことができ、それを消費する能力のある虚構ネイティブの消費者から求められることになったのである。
松本人志は、幼い頃から劇場(落語・漫才など)に足を運び、尼崎という笑いにシビアな環境で育ち、小学生の頃から漫才を作り演じていたそうだ。類まれなる才能の持主でもあるが、その才能を伸ばす環境にも恵まれており、また虚構ネイティブの感性を兼ね備えていた。オタク第一世代であり、また吉本興業の養成所の一期生でもあり、誰の影響も受けない環境で、己自身の道を突き進めることができたのである。そのような経緯があり、松本人志の独特な笑い世界観は生まれたのである。
お笑いと虚構の関係性についてまとめてきたが、論理の飛躍があることも事実である。しかし、だからと言ってこの偶然を分析しないわけにはいかない。次のテーマは、「二次創作とシミュラークル」についてである。現段階での内容を踏まえてさらに深められたらなと思う。
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