尼僧の懺悔1

その頃の毎日は、将来の夢や理想などはなく、ただひたすらに今があるだけだった。

出家から5年が経とうとしていた。
住み慣れた自分の寺(自坊)を離れ、住職としての資格習得のための道場にも数年在籍した後、私は師匠のいる自坊に帰っていた。

道場修行を終えてしまうと、坊さんの修行は表面上完成となる。試験さえ通れば制度上は一人前とされ、現に修行仲間の何人かは早々に住職になっていた。

師匠はまだまだ健在で、私もまだまだ半人前で、自分に到底そんな将来が近々あるとは思えなかった。でも、むしろそれでよかった。

そもそも住職になりたい等と思って出家しているのではない。

出家と言えど現代社会の歯車の一つ、糊口をしのぐのに何某かの経済活動は必要である。住職になればいきなり財務管理や寺院経営に日々の生活があることぐらい25にもなれば自然にわかる。
それはなんだか、一世紀は時間が止まったような、この御伽噺の生活が完全に終わるような気がして怖かった。

だから、私には、今しかなかった。

人生すべてを突っ込んだ賭けが、勝ちなのか負けなのかは、まだ当分わからない。今ビビって払い戻しをしたら負けだ。
そう自分を宥めていたように思う。

しかし、ありあまる若さは、一度は退治したみずからの“清姫”を呼び覚ますことになる。


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